【瀬戸内海の島々】
先日、若者達に誘われ、「瀬戸内芸術祭2013」に出かけ、瀬戸内海の島々を巡りました。訪れた島々は小豆島以外、いずれも島民は数百人に満たない島で、当然、高齢者が多く、また、島民の倍どころではない空き家が点在する島々でした。昨年訪れた新潟は山の村々でしたが、今年は海の村々で、どちらも古い空き家や廃校になった小学校に現代アートが、まさに“古い器”に新しい思想や内容が表現されていました。
(島民100人の島に大勢が押し寄せて)
昔、聞いた話ですが旧約聖書には「古い皮袋に新しい酒を入れるな!!」というのがあるそうですが、近年は、諸般の事情や発想の転換などから新しい思想や内容が古い形式のなかに収まっている場合や、また、入らなければならないという状況もよく見かけます。
この現代アートの祭典「瀬戸国際芸術祭2013」も、旧約聖書の精神とはまるで逆さまで「新しい思想を古い空き家で展開する」というのが売りの一つで、島で出会った会場係の元気なおばあちゃんも、お客様に”古いモノと新しいモノ“が、新しい価値を生むのだと解説なさっていました。
私が訪れたのは会期末で、しかも連休の最中という事もあり、フェリーも高速艇も満員で、島の会場も入場券の他に予約券が必要なところもあり、会場によっては、朝から、もう当日の入場札止めのところが出たと聞きました。
昨今、日本の人口減少は、特に地方では深刻で経済格差、雇用などから、地方の定住人口は減る一方で、瀬戸内海の島々では若者は殆どが島を出て行き、歯止めが効かず、今に至っているそうですが、ならば交流人口をいう事なのか、2010年から3年に1度の現代アートの祭典で、今年は、春、夏、秋の3シーズンに分けて108日間の開催だそうです。
開催地は、香川県側の瀬戸内海に浮かぶ12島と高松港・宇野港周辺で、島は直島、 豊島、 女木島、男木島、小豆島、大島、犬島 他に春のみの沙弥島、夏のみの伊吹島、そして秋のみは本島、高見島、粟島に180点にも及ぶ作品が展示されています。主催は瀬内国際芸術祭実行委員会・会長は浜田恵造(香川県知事)で、交通機関も潤う、まさに自治体挙げての村おこし、島おこしです。
今回訪れたのは、その内の4島と高松で、金沢からマイクロバスで6時間半。高松で1泊し、1日目は豊島、犬島、豊島から小豆島で1泊し、2日目は小豆島から高松に戻り男木島へ夕方まで、高松からまた6時間半かけて金沢へという2泊2日半の強行軍でした。
小さな島は、上陸すると細い道と急な坂の連続で、息を切らせて皆さんに付いていくのがやっとこさ、昔は、我々の年代の人々が四国や小豆島のお寺を巡り何日も歩いたのだそうですから、たった2日、まだまだ負けてはおれません。それにしても、見方を変えれば、現代アートを追って巡る人々はまさに現代版の“おへんろさん”ということなのでしょうか・・・。
作品については、いずれまたになりますが、今回の旅は、会期が後20日前後という事もありますが、何処ヘ行っても都会から来た若者の行列に圧倒され作品も然ることながら、現代アートのパワーなのか、昔からこの土地が持つボテンシャルなのかよく分かりませんが、感動しっぱなしで帰ってきました。
それにしても、書かずにおれないことに、島で行列を着いて食べたイチゴの氷水があります。たかが氷水、されどです。あれには一寸参りました。近くでイチゴのハウスを見ましたが、採れ取れのイチゴで作ったのでしょうか、今まで食べたことのないものでした。旅はやっぱり食べ物です・・・。
最後にこの旅で感じたことに、素人考えですが、金沢や能登でも、土地の持つ潜在力や現代アートにおいて、先発に勝るとも劣らない芸術祭は十分可能なように思いました。そして脳学者のいう「美味しい」と「美しい」を感じるのは同じ部位ということですから、キーワードは、今以上の食の充実のように思います。
(文字通り美しい味が美味しい(オイシイ)ということか・・・。)