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猿楽から能楽へ⑦神事能の“大野湊神社"

【金沢市・寺中町・大野・金石】

今回書くのは、現在も催されている大野湊神社神事能です。この事については前にも触れましたが、この項では藩政期に金沢で催された年中行事寺社に奉納された4つの能“の一つとして、多少重複することも厭わず、より詳しく調べたつもりですので、すっ飛ばさずに読んで戴ければ幸いに存じます。

 

大野湊神社神事能は、神社が石川郡の寺中村(現寺中町)に有り、昔から人々は「寺中能」と親しみを込めて呼んでいたようです。その「寺中能」の起源は、前回も触れたように、利長公が関ヶ原の戦で、東軍に味方し西軍の山口・丹羽氏に勝利したことから、それを祝し慶長9年(1604)、当時、小松辺りの住んでいた諸橋を大夫として毎年能の興行をするよう命じたと云われています。以来、明治2年(1869)で一時中断したものの、明治27年(1894)再開され、以後、氏子の奉賛と金沢能楽会の演能により毎年奉納され、今も金沢能楽会関係者により5月15日に奉納されています。

諸橋大夫の後裔が諸橋権之進家で、観音院と同様、波吉宮門家ととものシテを勤めています。寺中能では宮腰町奉行などが出座し、毎年、4月15日に開催され、観音院の2日間の興行ですが、寺中能は1日で催されていました。)

 

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拙ブログ

金沢の御能③利長公と諸橋家、利常公と竹田家、波吉家

https://ameblo.jp/kanazawa-saihakken/entry-12720905923.html

 

さなたけ(佐那武)へ米二十石まいらせ候。

いよいよ祈祷も能も、懈怠(けたい)なく御勤られ候てよく候。

                              かしく

 慶長9年8月15日      利長佐判

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大野庄寺中村辺りは、かって北加賀の表玄関で湊町として栄え、前田家も利家公が加賀に最初に足を踏み入れた記念すべき土地でも有りました。大野湊神社が現在地に移ったのは建長4年(1252)で、今も佐那武社(さなたけしゃ)と通称されています。一説には、それまでは海中に沈んだ砂丘佐良嶽(さらたけ)頂上に有ったと伝えられ、今の犀川の河口南岸として発展した金石(藩政末期まで宮腰)辺りだとされ、大昔海に面していたので、今も8月始めから3日間で行なわれる夏祭りには、525年間大野郷に鎮座されていた当時を偲び、神輿を海岸の”御旅所”に移され神様は浜辺で2泊され湊の守護神として崇められています。

 

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大野湊神社の由来≫

神社は、聖武天皇神亀4年(727)に陸奥の人佐那武が航海中に猿田彦大神を拾い上げ、大野庄の真砂山竿林にすでにあった神明社(祭神・天照大神)の傍らに一祠を建立し勧請したのが始まりで、この合祀より大野郷(旧宮腰・現金石町)湊の守護神とされ、大野湊神社と称されるようになったと伝えられています。2年後の天平元年(729)に「佐那武大明神」の称号を与えられ、延長5年(927)成立の延喜式神名帳に記載された式内社2,133ある国幣小社の一つです。平安末期には大野湊神社という社号は消えて「佐那武社」と云われ、この頃は加賀馬場白山宮の有力末社となっています。白山宮と云えば、加賀での猿楽の歴史は、白山信仰猿楽座から派生したと云われています。「白山之記など」

佐那武というのは陸奥の人佐那武と云うのが定説ですが、上記のように犀川河口南岸にあったとされる砂丘地の頂上佐良嶽という地名に由来するという説もあります。)

 

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(現在、境内末社として佐那武白山神社を祀るのは、神社は建長4年(1252)火災により古大野から東八丁をへだてた寺中町の離宮八幡宮(現在地)に奉遷されたもので、戦国時代には荒廃しますが、前田利家公により再興され、慶長9年(1604)からは、恒例となる神事能(寺中能)の奉納が前田利長公により始められます。社殿は寛永16年(1639)前田利常公によって造営され、維新後、明治5年(1872)郷社、明治18年(1885)県社に昇格、明治34年(1897)1200年祭が斎行されました。昭和25年(1950)1250年祭、昭和41年(1966)神社本庁別表神社に加列されました。昭和57年(1982)石川県指定文化財。平成12年(2000)には1300百年祭を斎行し、現在も海と湊の安全を守護し、交通安全、厄除け等に御神徳の高い大神様として篤い信仰を集めています。)

 

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拙ブログ

梅田甚三久(能登屋甚三郎)と尚伯の湯

https://ameblo.jp/kanazawa-saihakken/entry-11143546914.html

 

つづく

 

参考文献:「金澤の能楽」梶井幸代、密田良二共著 北国出版社 昭和47年6月発行・「大鼓役者の家と芸―金沢・飯島家十代の歴史-」編者長山直治、西村聡 発行飯島調寿会 2005年10月8日発行・「金沢の風習」井上雪著 株北國新聞社 平成2年4版発行・フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ほか


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