【金沢市内】
現代アートなど先端的な取組をしているギャラリー金沢アートグミですが、オープン以来、師走のこの時期、金沢に昔から伝わる”風習”や”しきたり“をアーチストやデザイナーの手により斬新な展示方法で「金沢しきたり展」を開催しています。今年は、”食から見る、金沢“をテーマに、企画展示、レクチャー、ワークショップを12月13日から来年の1月8日までの開催です。
(中ぐらいの源助だいこん)
今年のワークショップは、食ということで、昔から市内の家々でこの時期漬け込まれる“だいこん寿司”を漬け込みから甘酒つくり、本漬けまで体験し、試食するというもので、近江町の消費者会館3階の調理教室で開催されたので出掛けました。
(金沢しきたり展・金沢アートグミ)
その日は、他の用事と重なり、しばらくしかその場にいることが出来なかったのですが、道具や材料と見ていたら、母が寒い台所で“だいこん寿司”を漬け込んでいた姿が浮かんできました。
ご存知の方も多いと思いますが、金沢の冬の”ごっつお(ご馳走)”に、“かぶ”と“寒ブリ”を麹で漬け込んだ「かぶら寿司」がよく知られています。これは高級魚を隠して食べるためなどともいわれた高級品で、藩政期、魚屋が歳の暮れ、お得意様に来年の通帳(かよい)を配るとき贈ったという贈答用で、昔から庶民の家で作られていたのは「だいこん寿司」でした。
(金沢しきたり展のクイズ・甘酢に漬けるのは間違いですね)
我が家でも昔から、“源助だいこん”と“身欠にっしん”を漬け込みました。この持ちの良い発酵食品を、毎年、年中行事のように、お袋が張り切って作っていました。祖母から母へ、そして、今は妻に受け継がれていますが、手順の違いか、食材や麹の良し悪しや独自の隠し味、はたまた、それぞれの無言の自己主張なのか、微妙に味が違うような気がします。
記憶を手繰っていくと、お袋が作ったものは、大根を除けて“にっしん”だけ食べていたことが思い出されます。最近、妻の作るものは、味かよくなったのか、いや、歳のせいで食の好みが変わったのか、大根も“ばりばり”歯応えを楽しみながら食べています。
(準備万端のワークショップ会場)
「源助だいこん」は、昭和の初め、愛知あたりから導入されたものに、在来の練馬系の大根と自然交雑し毎年選抜し続け、今から70年ぐらい前に完成されて加賀野菜です。肉質がやわらかで、煮崩れしなくて歯ざわりいいので、「だいこん寿司」の他に”おでん“”ぶり大根“”ふろふき大根”に最適だといわれています。
(藩政期はどんな大根が使われていたのでしょうか?)
(近江町市場の店頭で、生ニシンと身欠ニシン)
「身欠にっしん」は、“ニシン”から内臓と数の子を取り1ヶ月以上、干して固めたもので、油脂の作用で腐りにくい性格があるので、幕末から明治にかけて北海道から北前船で金沢にも大量に運ばれていたそうで、保存がきくので貴重なタンパク源として重宝されていましたが、今は外国産で、我が家では「だいこん寿司」以外あまり食べません。
(我が家の薄い大根のだいこん寿司)
我が家の“だいこん寿司”の作り方(妻からの聞き取り)
① 大根に、通常より薄く切って(通常は1,5cmぐらい)桶に並べ1段ごとに塩をまんべんなく振り積み上げ、 落とし蓋をして、大根の倍ぐらいの重石をし、4~5日涼しいところに置きます。
②”身欠にっしん”は米のとぎ汁に一晩から2晩浸して戻し、食べやすい大きさに切っておきます。
③ 麹と熱いご飯とお湯を混ぜ、炬燵の中などで1晩保温します。
④ にんじんの千切り、鷹の爪の輪切り、ゆず、昆布の千切り、大根、そして、ニシンは洗い、糠を落とし漬 け込み落し蓋をして重石をし、また涼しいところに置きます。
(1週間ぐらいが食べごろ。気温が高くなり、日が経つと酸っぱくなります。)
金沢アートグミの「金沢しきたり展」とは
毎年、近江町市場商店街振興組合と近江町いちば館管理組合、金沢アートグミが主催で、この時期、金沢アートグミギャラリーを主会場に、金沢の人々が、後世に伝えなくてはと思う、縁起や年中行事などの“風習”や“しきたり”を企画展示、レクチャー、ワークショップで再現し、市民の参加をえて開催する企画展です。
≪過去の企画展≫
2011年11月25日(金)~12月18日(日)
「金沢のしきたり展―近江町に受け継がれる大行燈絵」
2010年12月16日(木)~2011年1月16日(日)
「金沢のしきたり展―郷土玩具と遊び」
2009年11月21日(土)~12月13日(日)
「金沢のしきたり展―婚礼にまつわる風習. 風習」
参考資料:金沢アートグミの「金沢しきたり展」のパンフレットなど