【金沢】
小橋天神の囃子(舞囃子)は、大鼓役者小杉喬久(通称次郎三郎)が元禄15年(1702)2月25日に天満宮(菅原道真)800年追善の祭事として囃子を奏したのが最初で、その後、毎年、恒例として行われるようになったと云われています。しかし、その番組も享保17年(1732)の火災で焼失したため、楠部屋金五郎は残されていた翌18年(1733)以降の分を書写し、享和元年(1801)2月に「松梅山天満宮囃楽永代譜」を作成して、小橋天神に奉納したものと云われています。
(楠部屋金五郎:金沢町会所の職員で、会所にあった旧伝数100巻を整理し「町会所標目」を作成。詳しくは、前回久保市乙剣宮で・・・)
小橋天神の祭神は菅原道真で、囃子が行われる2月25日は道真の命日です。そのため囃子の最初の演目は「老松」が演じられていました。「老松」は天神伝説を題材に取った演目で、長寿の象徴である松と春の花のさきがけ梅の目出度さを強調した演目で、さらに、天神さんの後裔と称した加賀藩主前田家を讃える意味から演じられています。
老松(おいまつ)http://www.syuneikai.net/oimatsu.htm あらすじ:都の西の方に住む梅津の某は、北野天満宮の夢のお告げを蒙り、筑紫国の安楽寺へ参詣することにします。はるばると旅をして、菅原道真の菩提寺である安楽寺へ着くと、老人と若い男がやって来て、梅と桜のことを述べ、花盛りの梅に垣を作ります。梅津の某は、彼等に言葉をかけ、有名な飛梅はどれかと問うと、神木であるから紅梅殿と崇めなさいとたしなめられ、同じく神木である老松についても教えられます。・・・・・。 |
YouTubu動画
能「老松」(宝生流)(HD)
https://www.youtube.com/watch?v=zesbI7br6hg
小橋天神での囃子は明治17年(1884)まで続きますが、その後、大正8年(1919)に再開され6年間続きます。昭和27年(1952)から加賀万歳を復活して奉納し、さらに囃子や謡の会を催して奉納した事が、平成17年(2005)発行の「大鼓役者の家と芸」に書かれています。
(加賀万歳:前田利家公が越前の府中を統治していたころ、お百姓さんたちが年頭の恒例行事として披露していた越前万歳がルーツです。利家公が金沢城に入城した後、金沢の人たちが真似て楽しむようになり、文化文政の頃には、宝生流能楽師の大石藤五郎が越前万歳の舞や歌詞を発展させ、能の要素を取り入れながら、より優雅で、気品があり、地元の方言も交えた斬新な万歳を確立していきます。これが当時は地万歳と呼ばれ、現在の加賀万歳の基礎となります。明治に入ってから地万歳は、金沢旧市内の旧家や大商家、娯楽街の寄席で演じられます。昭和になって、地万歳は加賀万歳と呼ばれるようになり、昭和50年(1975)には金沢市文化財の指定を受け、加賀万歳保存会が中心となってその保存、継承に当たっています。)
YouTubu動画
市無形民族文化財「加賀万歳」
https://www.youtube.com/watch?v=SikzttvUzDc
(藩政期の小橋天神(宝来寺)の地図)
(昭和46年までの小橋菅原神社跡)
≪小橋天神≫
小橋天神は、藩政期、菅原道真自作と伝えられる天満大自在天神を御本尊として崇拝され、3代藩主利常公が大坂の陣に出陣した時に、御局の老女が戦勝を祈願したため、凱旋した利常公から長刀・扇子などが寄進され、社地の拝領。始めは現在の香林坊橋の袂に有りましたが、寛永13年(1632)には古寺町(現片町2丁目)に移り古寺町天満宮とも呼ばれます。その後、神務は修験道「福蔵院」が執行し、福蔵院は享保15年(1730)に本山に申請し、松梅山の山号と宝来寺の寺号を得ますが、明治に入り神職に復し、社号も明治8年(1875)小橋菅原神社と改め、大和デパート裏(今の片町きらら)の天神さんとして親しまれていましたが、昭和46年(1971)一時、ホテルエコノ金沢片町裏に移ります。平成27年(2015)9月に取り壊され月極駐車場になり、今は飲食街(屋台村「とおりゃんせ」)になっています。
(平成27年までの小橋菅原神社)
(今の小橋菅原神社跡)
拙ブログ
金沢二十五天神巡り(第1回)
https://ameblo.jp/kanazawa-saihakken/entry-11519016423.html
犀川大橋からスクランブル交差点まで③旧河原町・旧古寺町
https://ameblo.jp/kanazawa-saihakken/entry-12529898890.html
この項おわり
参考文献:「金澤の能楽」梶井幸代、密田良二共著 北国出版社 昭和47年6月発行・「大鼓役者の家と芸―金沢・飯島家十代の歴史-」編者長山直治、西村聡 発行飯島調寿会 2005年10月8日発行・フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ほか