【金沢城下】
文武に優れていたといわれている綱紀公は、並みの学というのではなく、確かな根拠をふまえた学識で、好学の将軍綱吉公を感嘆させる学識は、本格的なもので綱吉公の“学”の理解に耐え、特別に厚遇されたといいます。
図書の収集は、新井白石をして「加州は天下の書府なり」とうらやんだと伝えられていますが、綱紀公は愛書家で、また各部門にわたる優れた研究者であり、122部もの著述があるといわれています。政務繁多の中、その熱意と精力には驚きのほかありません。
武技については、幼いころの綱紀公はなかなかのヤンチャもので、大きくなると武芸を好み、刀、弓、馬は奥技をきわめ、火器を重視し、射撃もたくみで、一発数鳥を射たといいます。そして、もっとも好んだのは狩猟で、武蔵、相模の二国の領地を先代よりうけ、帰国すると、領内各所で狩猟と放鷹を何百回も行い、兵法家を同伴しながら機動演習をしたといいます。
このように詩文、武技をよくした綱紀公ですが、書や絵もたくみで、絵はいわゆる美術ではなく、草木・花実・魚鳥、あるいは武器・器械といったものを好んで写生をしたといいます。
(前田家の梅鉢紋)
茶道は、幼少の頃から習いはじめ、利常公がこれをたしなめたこともあるといわれていますが、千宗室を京より金沢へ招いています。何事にも通じなければ止まらない綱紀公は、割烹の道にまで興味と一家言を持ち、賓客から家臣らへの供応にまで細かい心づかいを示したらしく、また綱紀公自身も好んで包丁を持ったといいます。
御能は、昔から領国の加賀、能登で、守護の富樫家や畠山家以来の伝統があり、藩祖利家公以来、流派は金春流でしたが、綱紀公は将軍綱吉公の嗜好に添い、宝生流一本にしぼり、「加賀宝生」という伝統を作り上げています。
時代は元禄、将軍は5代綱吉公。綱紀公はことごとく将軍綱吉公のお気に入りで、破格の待遇を受けたといいますので、幕府での学事や御能等々、ほぼお追従ぎみは、うなずけるものの、学徳が高く、仁政をもって知られた綱紀公であっても、あの人間より犬を大切にするという“生類あわれみの令“を積極的に領内に持ち込んでいるところを見ると、いかに学識、見識があったといわれていても将軍のもつ強力な権力のもとでは、全く役には立たないということなのか・・・。世渡り・・・。家訓!!
侍は家を立てることが第一。されば我を捨てろ 芳春院
参考文献:人物叢書「前田綱紀」若林喜三郎著 株式会社吉川弘文館・昭和36年発行