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第3回観光ボランティアガイド北陸大会in三国湊

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【福井県坂井市三国町】
観光ボランティアガイド北陸大会も今年で3年目。今回は福井県の三国湊実行委員会が主催で8月31日と9月1日の2日間に渡り行なわれました。何と北陸3県から30団体250名と北陸大会が始まって以来、最高の参加者が集まり開催されました。


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(第3回観光ボランティア北陸大会)


初日は三国観光ホテルを主会場に東尋坊、雄島、三国神社、三国湊のまちなかや古刹や資料館の現地研修を5グループに分かれ、約2時間、ひとひねりした一寸高飛車にも聞こえるネーミングとは裏腹に熱のこもったおもてなしの地元ボランティアガイド“きたまえ三国”の皆さんのガイドで実施されました。


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(朝、金沢スタート)
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(会場)

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(受付)


翌日は、永平寺の副監院の講演やパネルディスカッション、午後からは福井の語り部発表会などを準備して頂いていました。今回は、体調も考えて日帰りにしましたが、今思うと一寸残念!!


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〈懇親会にて)


私が参加した現地研修会は、東尋坊で、三好達治や高見順の“文学碑の小径”を散策するコースで2時間が用意されていましたが、途中から下りだしたので、苦手な登りが有るかもと思うと、足腰に自信がない私としては迷惑をかけてはと思うと億劫になり、東尋坊の断崖絶壁で、行きのバスで興味深く聞いた東尋坊伝説に思いを馳せたり、商店街を少し歩いたりして過ごしました。


(結果的には、聞いていた集合場所が遠くて、歩き切らず、遅れてしまいバスを回して戴き、皆様に迷惑を掛けてしまいました。この場を借りてお詫びします。申し訳ありませんでした。)

≪バスで聞いた東尋坊伝説・・・≫
昔、平泉寺には数千人という僧侶がいました。その中にいた等仭坊(東尋坊)という僧は、怪力を頼りに、悪事の限りをつくしたという・・・。等仭坊はまさにやりたい放題、好き勝手な悪行は、平泉寺の僧侶を困らせていました。さらに、等仭坊はとある美しい姫君に心を奪われ、恋敵である真柄覚念(まがらかくねん)という僧と激しくいがみ合っていたという・・・。


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(断崖にて)


ある日、平泉寺の僧たちは皆で相談し等仭坊を海辺見物に誘い出し、一同が高い岩壁から海を見下ろせる場所へ着くと、早速岩の上に腰掛けて酒盛りが始め、眺めの良い景色も手伝ってか、みなも酒がすすみ、等仭坊も酒に酔って横になり、うとうと眠り始めたという。


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(雄島が見える)


等仭坊のその様子をうかがうと、皆の合図に真柄覚念は、ここぞとばかりに等仭坊を絶壁の上から海へ突き落としたとか・・・。崖から突き落とされつつ、この企てに気付いた等仭坊は、もはや手遅れと、近くにいた者どもを道連れにし、等仭坊はまたたくまに崖の下へと落ちて行きました。



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(東尋坊の立体解説)


等仭坊が波間に沈むや、それまで太陽が輝いていた空は、たちまち黒い雲が渦を巻き、青い空を黒く染め、にわかに豪雨と雷が大地を打ち、等仭坊の怨念がついには自分を殺した真柄覚念をもその絶壁の底へと吸い込んでいったという。


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(東尋坊の断崖絶壁)


それ以来、毎年等仭坊が落とされた四月五日の前後には烈しい風が吹き、海水が濁り、荒波が立ち、雷雨は西に起こり東を尋ねて平泉寺に向ったという。以後、等仭坊を東尋坊と書くようになったとサ・・・。


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(文学碑での解説)


(少し調べて書きましたが、どうも「東尋坊伝説」には何通かあるらしい・・・。)


東尋坊で気になったのが「救いの電話」です。電話ボックスの中には無数の10円と―まずは落ち着け―と言う意味なのか煙草が置かれていました。この電話ボックスの中で一服し、思い留まった人も・・・。


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(これは東尋坊の崖側に設置された電話ボックス)


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(八角形のみくに龍翔館)

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(みくに龍翔館の北前船の模型・写真OKはこれと山車の二ヶ所)
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(みくに龍翔館の最大の7m、三国祭りの昔の山車)


ホテルの隣に木造5階の八角形のユニークの建物が目を引き、何の予備知識もなく、一人で訪れました。行ってみると三国の歴史や文化、文学などを紹介する博物館でした。さすが歴史の有る湊町、展示品は豊富で、じっくり観だすと興味が募り、一人で結構、楽しんできました。建物は明治の初め九頭竜川改修の指揮を取りに三国を訪れオランダ人の技師が設計した小学校のデザインを模したもので、三国湊を一望する高台に復元されたものだそうで、当時の名前龍翔小学校から「みくに龍翔館」というのだそうです。


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(きたまえ三国の笑顔の素敵なガイドさん)


帰路はバスで約1時間一寸、近いのに初めての三国湊でした。北陸大会と三国のボランティアガイド「きたまえ三国」のお陰でした。ありがとうございました。


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