【梅の橋→浅野川大橋・旧木町】
ひがし茶屋街に入る通り沿いに、大きな銀杏の木と海鼠壁が目立つ円長寺さんがあります。金沢城によく似た海鼠壁の御輪堂に関心を持つ観光のお客様もいて、そんな時は、必ずお客様に喜んで戴けるので、ご希望が有っても無くても、御輪堂にご案内することにしています。
このお寺の山号は藤島山。浄土真宗大谷派の寺院で、開山は越前の藤島村(現福井市)超願寺の僧道清が、天正14年(1586)に今の橋場町辺りに創建されたのが起こりで、10年後の慶長元年(1596)に現在地に移転し建立されました。よく知られているのは、前田家3代藩主前田利常公が卯辰山周辺での鷹狩りで、小休憩所に利用したというのが有名です。
そのご縁から、400年後の今も利常公の位牌が安置され、剣梅鉢の袈裟の使用がゆるされているそうです。また、屋根瓦には前田家の剣梅鉢紋が現在もみられます。
(剣梅鉢の瓦屋根)
境内にある大きな銀杏の木は、小休憩所だった当時、防火のため植えられたものといわれ、現在もこの辺りを火災から守るかのように堂々と聳えています。
(銀杏の木には、雄花と雌花の木があり、雄花の木は当然、実(ぎんなん)は出来ませんが、この木は、たまに銀杏(げんなん)が出来る”両性の銀杏“だと何時だったか坊守さんに聞いたことがあります。)
御輪堂(一切経蔵)は慶応元年(1865)閏5月に建立されたもので、中にある六角形の輪蔵(回転式の書架)には、仏教のすべての経典である一切経(大蔵経ともいう)5,408巻の大部分が納められています。この回転式の書架を回すと、収められているお経を全て読んだのと同じ功徳が得られるといわれ、参詣者はキュルルキュルリといわせながら一周させます。
この一切経蔵の書架には、経蔵の考案者で庶民に一切経蔵を広めた傅大士(ふだいし)と2人の息子普建(左)、普成(右)の父子像が正面に安置されています。
(経蔵の書)
傅大士は中国、南北朝時代(5世紀から6世紀)の在俗の仏教者、「斉」の東陽の人で本名は傅翕(ふきゅう) 善慧大士と号し、双林寺を建てたといわれ、後に、経蔵などにその像が置かれ、「笑い仏」といわれているそうです。
(在俗:出家せず、俗人の状態でいること)