ひがし茶屋街近くの円長寺さん
【梅の橋→浅野川大橋・旧木町】 ひがし茶屋街に入る通り沿いに、大きな銀杏の木と海鼠壁が目立つ円長寺さんがあります。金沢城によく似た海鼠壁の御輪堂に関心を持つ観光のお客様もいて、そんな時は、必ずお客様に喜んで戴けるので、ご希望が有っても無くても、御輪堂にご案内することにしています。 (円長寺の銀杏の木と御輪堂)...
View Article“YUKIZURI”
【金沢・兼六園】 最近、能登七尾出身のお菓子作りの名人が作った“YUKIZURI“が有名になり、そのお陰で、よく問われて困っていた”ゆきつり“”ゆきづり“論争も、今も何故?と問われても”ゆきづり“と断定するしかありませんが、なんとなく決着が付きました。 (おっと・・・曲芸まがい)...
View Article今、話題の下新町辺り!!
【浅野川大橋→中の橋】 11月4日は泉鏡花の誕生日だそうです。今年が生誕140周年という事から金沢では記念事業が行なわれ、3日には「鏡花うさぎまつり」が、下新町の久保市さんを中心に、“主計町”と“ひがし”の両茶屋街辺りで行なわれたそうです。 (泉鏡花記念館)...
View Article金沢の金箔!!金箔の金沢!!
【浅野川大橋→小橋】 金沢の金箔製造は、日本の9割以上とか99%といわれ、「黄金の国ジパング」における唯一の生産地です。そして、今や金沢の観光の拠点として知られる“ひがし茶屋街”では、箔屋さんが何軒もあり、“黄金のトイレ”や“プラチナ入り金箔を2万枚も貼った蔵”など、工夫を凝らし観光客を驚かせています。 (ひかり蔵の黄金の蔵)...
View Article東山の町家アトリエで
【浅野川大橋→中の橋】 金沢では、大学の先生たちが10年ぐらい前から「町家トーク」「町家見学会」「町家人のたしなみ」など、町家、町家と言い出し、普段は非公開の市内の町家を使い、期間限定で、意見交換会やインスタレーション、コンサート、演劇などのアートイベントが開催されるようになりました。 (シェアアトリエひがしやま荘)...
View Article金沢職人大学校の長町研修塾と匠心庵
【長町・大和町・東山】 長町研修塾は、いつもお客様と長町の武家屋敷巡りで露地を見せて戴いていますが、先日、“何時かお茶会を”という思いが叶い、ガイド仲間と情報交換や経験談などを肴にお茶会とお食事会を行ないました。お座敷から障子を開けると、ひんやりと一足早い冬寒が身にしみましたが、露地の品よく配された樹木は、色も形もバランスが良く、紅葉が目に心地よく映りました。 (匠心庵の露地)...
View Article大野は醤油と北前船
【浅野川下流大野川河口】 古い町並みの大野は、近年、金沢新港が整備され大野川の右岸の大野町新町には石油基地が日本海に面した一角に小松製作所の金沢工場が建設され産業機械を直接世界各地へ輸出できるようになりました。 (直源さん①)...
View Article加賀藩ゆかりの・・・京都
【京都市内】 京都日帰りの研修旅行に参加しました。金沢観光ボランティアガイドの研修です。テーマは“加賀藩ゆかりの京都”午前7時に金沢をスタートし、午後9時前に金沢着という強行軍でした。 (智積院)...
View Article満天星(どうだんつつじ)見ごろ
【浅野川大橋→中の橋】 寺島蔵人邸の、樹齢350年以上といわれる庭の満天星(どうだんつつじ)は、今年4月、春の開花前に、幹の一部を切断しました。新しく伸びてきた枝の生育を促すためだそうで、老木を切るという“大手術”を行なうことで生育環境の改善を図ったのだそうです。 (手前は満天星の老木)...
View Article金沢の俵屋宗達伝説
【京都・金沢市内】 先日、京都の建仁寺で「風神雷神図」を見ました。複製だったそうですが、私の勝手な思い込みから本物に違いないと写真も控えて撮らずじまい、ここに画像のアップも出来ず今さらながら、自分のそそっかしさに呆れています。 (京都建仁寺)...
View Article大野に、日本のダ・ビンチ がいた・・・。
【大野川河口・大野町】 大野弁吉は、日本のレオナルド・ダ・ビンチといわれています。京生まれの天才発明家が、何故、北陸の港町に・・。通り一遍の年表によると、大野生まれの妻“うた”の実家に来て婿になり中村屋を名乗り定住したということなのでしょうが、それでは単なる妻コン男のように聞こえます。果たして・・・。 (金沢港・石油基地)...
View Article金沢アートグミのギャラリーに戦艦が
【武蔵が辻】 金沢アートグミのギャラリーが様変わりしています。なんと、面白い戦艦が2隻浮かんでいます。面白い!!といっても人それぞれですので、“私が好きな”といったほうが適切でしょう。紙で作った大きな巡洋艦と空母らしい物体がギャラリーの対角線上に対峙しています。戦っているという緊張感は感じられませんが、何ともユーモラスに見えます。 (対峙す戦艦(黒猫と白猫)...
View Article東外惣構の起点!?兼六園山崎山の謎
【兼六園→浅野川左岸(並木町)】 兼六園の小立野口から入ると右側に山崎山があります。紅葉が有名で、他に24基の灯籠(16基)と石塔(8基)があり、よく知られているのは12代藩主斉広公の正室、真龍院様が御室御所の塔を模して造らせたのもので、この塔は時の流れを表しているそうです。 (晩秋の山崎山) (紅葉が散った山崎山)...
View Article犀川から浅野川へ・・・辰巳用水①
【上辰巳(東岩)→兼六園→浅野川】 金沢城惣構の堀は全て、犀川より水を引く辰巳用水を流れ浅野川へ排出されていました。厳密には辰巳用水の分水ということになります。実は藩政初期、板屋兵四郎が設計施工した辰巳用水の定義は、犀川上流から金沢城までの区間とされているからです。 (史跡辰巳用水の石碑)...
View Article3代藩主利常公の決断・・・辰巳用水②
【上辰巳(東岩)→兼六園→浅野川】 辰巳用水の取水口は当初、今の東岩より約730m下流に作られた古河にがあり、その後、取水量を増やす目的で約130m上流の“めおと滝”の対岸、雉(鶏)の取水口に付け替えられ、安政2年(1855)にはさらに約600m上流、現在の東岩に移されています。 (現在の辰巳用水取水口東岩) (辰巳ダム上から東岩)...
View Article板屋兵四郎・・・辰巳用水③
【上辰巳(東岩)→兼六園→金沢城】 「三壷聞書」には、「…小松町人板屋兵四郎という…」と書かれていて、大阪芝敷村から小松に来たとされていますが、当時、前田家の公事場奉行や算用場奉行などを務めた稲葉左近直富の配下で“下村”という姓の侍だともいわれています。 (遊歩道の辰巳用水・平成5年遊歩道完成)...
View Article12代藩主前田斉広公と竹沢御殿①
【金沢・兼六園】 竹沢御殿は前田斉広公によって現在の兼六園千歳台から梅林辺りに造られたご隠居所でした。斉広公は10代重教公の次男で、兄の斉敬が早く死んだため、14歳の時、重教公の弟の11代冶脩公の養子になり19歳で家督を受け継ぎ12代の藩主になります。 (現在の橋爪門と二ノ丸跡)...
View Article金沢城二ノ丸御殿より大きい隠居所、竹沢御殿②
【金沢・兼六園】 斉広公は、隠居所竹沢御殿(たけざわごてん)が文政5年(1822)12月に完成し移ります。竹沢御殿は、再建された金沢城二ノ丸御殿3,000坪より大きく壮大な屋敷で建坪4,000坪で、部屋数も200を超えたといわれています。なんと能舞台が二つもあり、斉広公はここで文政7年(1824)7月10日、麻疹で卒去するまで1年7ヶ月、能三昧の日々を送ります。...
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