【京都・金沢市内】
先日、京都の建仁寺で「風神雷神図」を見ました。複製だったそうですが、私の勝手な思い込みから本物に違いないと写真も控えて撮らずじまい、ここに画像のアップも出来ず今さらながら、自分のそそっかしさに呆れています。
超有名な屏風画ですから見なくてもお分かりだと思いますが、パンフレットを写しました。「風神雷神図」は尾形光琳や酒井抱一、鈴木其一のものも画集でしかし知りませんが、元となったといわれる宗達の作品が一番のお気に入りで、今回の旅もこの二曲一双を見ることがお目当ての一つだったのに・・・オリジナル、そんな分けないですよね、いい歳をして田舎者丸出しで~す。
(建仁寺のパンフ)
藩政初期、金沢には弟子とも息子ともいわれた前田家お抱え絵師の俵屋宗雪の工房があったこともあり、真偽の程は分かりませんが“宗達伝説”が幾つか語り継がれています。今日は私が知っている伝説の内、好きなのを紹介します。
その一つは、宗達は「出大工町(現木倉町)の上宮寺前(今は公園)の炭薪屋」伝説。
宗達は、元は炭薪屋で木倉町に住んでいたというものや、京から金沢の木倉町に移り住み京では行方不明扱いだったなど・・・。
(伝宗達の杉板絵)
(木倉町は、金沢城下町再建に際し宮腰や大野の港から犀川や木曳川を利用して木材を運んでこの辺り(今の長町武家屋敷界隈)に集められたのでは木倉町といったという。)
その二、宝円寺の「画かき宗達墓」伝説
大正3年春、宗達記念会が東京上野公園で開催され、「宗達画集」が出版されることになり、墓の調査を当時の金沢市長に依頼されました。市史編纂の和田文次郎が宝円寺の過去帳(田原屋の條の「泰嶺院宗眞劉達居士 寛永二十年八月十二日」と五輪塔を見つけたことから、以来、その五輪塔を「宗達の墓」としました。金沢では、その年に宗達会を発足させ、以後、現在も宗達忌法要と茶会が行われています。ただ、この五輪塔が「宗達の墓」であるかどうかは議論のあるところで、現在のところは金沢だけで通用する話のようです。
(宗達の生没は、美術年鑑などでは生没年不詳になっています。)
その三、「伝宗達の杉板画」伝説
寺町の法華宗の承証寺や兼六園の三芳庵の「伝宗達の杉板画」があり、私は、いずれも見ていますが、実際には、前出の俵屋宗雪の工房のものではという話もあります。承証寺の絵は、杉戸にうさぎが描かれていて宗達の絵としては珍しいものだそうです。宗達の筆であるかどうかは、「伝宗達」といわれているので、私には何ともいえません。
因みに、宗達の通称は野々村宗達で、俵屋宗雪は喜多川宗雪というらしい・・・。