【浅野川左岸上流・湯涌】
大昔の話でも奇跡でもなく、今、ガンバル湯涌の元気なお話です。最近は湯涌ゆず街道の“かかし”が住民パワーで有名ですが、今回は、発起人で今代表の旅館「かなや」女将安藤喜代子さんはじめ地元女性グループの努力で、藩政期の文献に記されている“湯涌の赤かぶら”商品名「金沢湯涌かぶら」を復活させたお話です。
(湯涌かぶらのチラシ)
藩政期の文献には「湯涌村に作申候かぶら・・・・長く大根之やうに御座候」という記述があり、元禄期にも、卯辰山の柳陰軒に住んだ俳人鶴屋句空が「年とりや 湯涌の蕪 田井の芹」と詠んだ句もあり、その後も湯涌に自生していたのか栽培されていたのか分かりませんが“湯涌の赤かぶら”は、古くは金沢城下で有名だったものと思われます。
(田井の芹は、現在の田井町で、藩政期、田井村の芹(せり)は有名農産物でした。)
(湯涌の浅野川)
言い伝えでは、カタチは大根のように細長く、色が赤くて、味が良いということのようですが、現在は誰も見たことも食べた人もいません。わずかに古老から伝わるところでは、炭焼き小屋跡辺りに自生していたらしいということだけで、何にも無いところからのスタートだったそうです。
(湯涌かぶらチラシ裏面)
平成18年(2006)頃、江戸期の蕪に近いものを数種類選び、県の専門家の協力を得て栽培と交配を繰り返し、言い伝えられている細長くて、赤いものが現れたものから、種を採取したそうです。
(金沢湯涌創作の森から湯涌温泉)
栽培と交配を重ねながら、完成したカブの食味や柔らかさ、また、色に合った調理法の研究のため赤カブ料理の試食会も開催し、多彩な料理が並べ、メンバーから意見や感想を聞いたといいます。
(湯涌温泉の旅館)
平成21年(2009)からは加工業者との連携に取り組み、漬物屋さんと醤油屋さんの協力を得て新商品開発が進められました。また、金沢の有名レストランのシェフにお願いして今までの概念を変える“湯涌かぶら”の創作料理として、メニューに加えられることになったそうです。
(湯涌のかぶらは、アントシアンが普通の蕪の6倍強。)
先日、妻がいつも行く「JA金沢市ほがらか村」から今期発売された、初もの「金沢湯涌かぶら」を3本120円で買ってきました。赤と赤紫の2色があり今回は赤紫のもので、まさに、カタチは小さな大根のようで、すぐに酢漬けにしました。横に少し厚目に切ったものは歯応えが気になりましたが、薄く縦に切ったものは蕪の滑らかさがあり、歯ざわりも良く美味しく食しました。
(21日、北国新聞の夕刊には写真入で記事になっていました。)
(縦に薄く切った赤かぶら・まるで酢蛸のようです。)
湯涌では、平成18年(2006)に農水省の品種登録が認可された、金沢のブランド野菜“ジュネンジョ「金沢藤五郎」”が特産品として発売されています。農水省の品種登録は「農産物の特許」に当たる制度で、品種登録することで金沢市が認めた生産者以外は栽培ができない農産物だそうです。
(金沢湯涌かぶらのロゴ)
「金沢藤五郎」は、市場での競争力が高く、普通のジュネンジョより生育が早く(2年)、ねばりの強さと味の良さを武器に、金沢ブランドとして全国発信していますが、「金沢湯涌かぶら」も、まだまだ生産量も少なく出荷量もこれからの話ですが「金沢藤五郎」に続く“金沢ブランド”として全国発信が期待されます。
(湯涌温泉の入り口案内板)
それにしても、湯涌は金沢の山間にあって、決して住人が多い分けでは無いのですが、前向きで独自性があり元気な地区のようです。温泉地として昔から発信力が有るから・・・それともガンバルから・・・。
金沢湯涌の元気・・・見せ筋成功、売れ筋と儲け筋の構築が楽しみ・・・その前に売り方かな・・・。
参考資料:栽培・販売 湯涌かぶら利用拡大協議会のチラシほか