湯涌の“赤かぶら”復活!!
【浅野川左岸上流・湯涌】 大昔の話でも奇跡でもなく、今、ガンバル湯涌の元気なお話です。最近は湯涌ゆず街道の“かかし”が住民パワーで有名ですが、今回は、発起人で今代表の旅館「かなや」女将安藤喜代子さんはじめ地元女性グループの努力で、藩政期の文献に記されている“湯涌の赤かぶら”商品名「金沢湯涌かぶら」を復活させたお話です。 (湯涌かぶらのチラシ)...
View Article師走の金沢③お殿様の鏡餅
【鈴見橋→常盤橋】 この時期、天神町1丁目の田井菅原神社では、平成9年(1997)以来、加賀藩12代藩主前田斉広公に献上された“鏡餅”が再現されています。今年は24日に高さ1,2mの風格ある鏡餅が再現されるというので氏子の方に連れて行っていただき見てきました。 (櫓飾餅、床飾餅、蓬莱飾)...
View Article金沢に新幹線が来る・・・。
【金沢市】 平成27年(2015)春。北陸新幹線が金沢に開通すると金沢~東京間、約450kmの所要時間が約1時間20分も短縮され、約2時間30分で行き来できるようになります。観光や各種産業の活性化や企業立地の促進、商機能の充実などが期待されます。 (北陸新幹線は、全線開通すると東京を起点に長野、上越、富山、金沢、福井などの主要都市を経由し、大阪に至る延長約700kmの路線です。)...
View Article初詣
あけましておめでとうございます。 【金沢・尾山神社】 お昼前、金沢市内で一番人気の尾山神社へ初詣に行きました。お天気はみぞれにベチャベチャの金沢らしい雪。拝殿への参道には参拝者がスムーズに進めるように2箇所にロープを持った係が停止線を張り、待たされ、待って、やっと二礼二拍手一礼に漕ぎ着けました。 (尾山神社)...
View Article天神さん①我が家の掛け軸
【金沢】 子供の頃、我が家の正月の床の間は「日の出」ではなく、天神さんの掛け軸が掛かっていました。小学校低学年の頃、祖母から“あんちゃん(私)のがや“と聞かされてはいましたが、それが学問の神様で私へのプレッシャーだということは後に知りました。 (今、子供の頃の正月を思い出せば、近寄りがたかった床の間の”天神さん“が浮かんできます。) (我が家の天神さんの掛け軸)...
View Article近江町市場の昔ばなし
【浅野川大橋→小橋】 金沢の市場の始まりは、正和元年(1312)の「白山宮三宮記」に書かれている久保市(山崎凹市)が、今の新町、旧今町辺りに古くにあった市場だといわれ、後に、一向一揆の時代に現在の近江町辺りに今市という新しい市ができ、その市の人々が住む今市村という村落が、やがて、近江町と呼ばれるようになったものといわれています。 (近江町いちば館)...
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View Article金沢・江戸
【浅野川大橋→小橋・下堤町】 江戸の町年寄の一人喜多村彦右衛門は、文禄の始めまで、金沢の下堤町に住み、藩主前田利家公の信頼も厚く、金沢の町年寄役を勤め町に関する全てを任されていたといいます。父は彦次右衛門といい、生れは今の津幡町、旧七黒谷北村というところで、先祖は富樫一族に繋がる家の出だといわれています。 (今の下堤町)...
View Article市姫神社と近江町
【浅野川大橋→小橋・尾張町】 市姫神社は、近江町の産土神です。卯辰山観音院境内から明治12年(1879)現在地に復座しました。明治37年(1904)に近江町焼けで罹災し、一時、その頃旧殿町に鎮座していた豊国神社に奉還します。 (市姫神社①)...
View Article“秋声のみち”
【梅の橋→中の橋】 浅野川左岸の“鏡花のみち“から「梅の橋」を渡ると徳田秋声記念館があります。有名な料理屋が火災に遭い空き地になっていたところに平成17年(2005)に開館。その頃、右岸の”梅の橋“から”中の橋“までの川沿いの道が”秋声のみち“と命名されました。 (梅の橋と徳田秋声記念館) (左岸の"鏡花のみち"の標識) (徳田秋声記念館)...
View Article異界の入口“絵本「化鳥」”
【天神橋→中の橋】 泉鏡花の「化鳥(けちょう)」の絵本があまりにも素敵なので、つい手が出てしまいました。すると8日の北国新聞にトークイベントの紹介があり、定員が限定されていたのですぐに申し込みました。 (対談のチラシ)...
View Article“福は内、鬼は内”の富永家
【金沢の鬼川伝説①】 1月も下旬、早い!!もうすぐ節分。藩政期、金沢には節分の豆まきの行事に代々「福は~外、鬼は~内」とか「鬼は~内、福は~内」という家がありました。家禄千五百石を領した前田家の家臣で、今の香林坊下に屋敷がありました。 (鬼川(大野庄用水)伝説の由来)...
View Article養智院と鬼川
【金沢・鬼川伝説②】 金沢の片町(旧古寺町)にある潤光山養智院は高野山真言宗の寺院で、泰澄大師や伝導大師や弘法大師が、さらりと出てくる伝説のお寺です。ご本尊は日本の三地蔵といわれ、寺暦は、千有余年前の天長元年(824)淳和天皇の勅命により、大聖歓喜天を勧請して創建されたそうです。 (養智院)...
View Article治にいて乱を忘れず―旗源平
【梅の橋→浅野川大橋】 1月27日(日曜日)雪が深々、昨日からJRが何本か運休という話もあり、やたらと寒い日。前から決まっていた金沢に伝わる子供の遊び“旗源平”のイベントを観光ボランティア“まいどさん”の有志が、ひがし茶屋街休憩館でやるというので、人出が心配になり朝から出掛けました。 (雪が降りだした旧観音町)...
View Article菓子処金沢の“五色生菓子”
【中の橋→小橋・旧博労町】 金沢の“嫁取り(よめどり)”に欠かせないものに400年以上も続く“五色生菓子”があります。そう、“嫁取り”以外にも“初産帰り”“建前(たちまい)”“開店祝い”にも五色生菓子が用いられていましたが、いつの頃からか多少日持ちの良い紅白饅頭なども使われるようになり、それも最近では省略されることも多いそうです。 (越山甘清堂本店のディスプレー)...
View Articleあめ買い幽霊・・・
【梅の橋→浅野川大橋・心の道】 金沢には、“あめ買い”や“餅買い”の幽霊が出たという伝説が幾つかあります。お寺が連なる卯辰山麓寺院群にある光覚寺さんは、その中でも特に有名で、その霊を供養するお地蔵さんがお寺の墓地の小高い丘の上にあり、今もお参りの人がいらっしゃるのか、よくお花が供えられています。 (光覚寺の墓地にあるあめかい供養のお地蔵さん)...
View Article宇多須神社“節分”と昔の芸妓さん
【梅の橋→浅野川大橋】 2月3日(日)午後この時期には珍しい青空に誘われて、散歩がてら宇多須神社の“節分祭“に行って来ました。神社の振る舞い酒を一杯いただき、昼酒にほろり、酔い覚ましに街を一廻りし、休憩館にも寄り、”節分祭“の30分前に境内に行くと、すでに見物客が大勢集まっていました。 (芸妓衆の踊り奉納) (笛の奉納)...
View Article心蓮社の開祖は長氏の生き残り
【梅の橋→浅野川大橋・心の道】 浄土宗“金池山心蓮社”の開祖休誉上人は、能登の長氏の出だといいます。長氏の始祖は、長谷部信連で、源平争乱のころは、近衛帝、後白河帝に仕かえ、武勇の誉高く、左兵衛尉に任じられました。苦節の平家時代を経て、源氏の世になると鎌倉御家人に列せられ、後、代々能登の地頭職で、その第20代の末裔長続連の第4子菊松でした。 (心蓮社①)...
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