“五人扶持の松”が見える天神町
【鈴見橋→常盤橋】 昨年暮れ、田井菅原神社の「鏡餅」を見せて頂いた帰り道、雪が深々と降りしきる天神町で、ふと、鉛色の空を見上げると、目の前に雪吊りの”五人扶持の松”が堂々と突っ立っていました。 (去年の暮れ、工事現場の先に五人扶持の松が見えた。)...
View Article旧品川町と品川左門
【鈴見橋→常盤橋】 旧品川町(きゅうしながわちょう)は、今の天神町2丁目”天神町緑地“辺りにありました。昭和41年の町名変更にともない旧品川町、旧天神町一丁目~四丁目、旧柿木町、旧板前町、旧三十人町、旧田町、旧田町新道を統合し、「新」天神町1丁目、2丁目として再編成されました。その時、三丁目と四丁目が消滅します。 (現在の旧品川町辺り・天神町緑地のところ金大病院から撮影)...
View Article天神さん②3代藩主前田利常公
【金沢城下】 寛政16年(1639)加賀藩3代藩主前田利常公は小松城に隠居しました。その2年後の寛永18年(1641)3月、3代将軍家光公の信頼厚い南光坊天海から手紙が届いたといいます。江戸幕府は、その年2月から諸大名を完全に組み込むための政策の一つとして林羅山・鵞峰父子を編集責任者に「寛政諸家系図伝」の編纂が始まりました。 (金沢城河北門と菱櫓)...
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View Article金沢城下・旧味噌蔵町
【常盤橋→浅野川大橋】 味噌蔵町の町名は、昭和の町名変更で消滅しましたが、“味噌蔵町(みそぐらちょう)は小学校や公民館の名称として、藩政初期から続く由緒ある名前が今も顕在です。この辺りは、藩政期は武家地で、公式な名称では無いが通称で”味噌蔵○○丁“と呼ばれていたものと思われます。 (奥村権之佐屋敷跡・ここに味噌蔵が有りました)...
View Article旧味噌蔵町裏町の“徳川さん”
【常盤橋→天神橋】 最近、雪のお陰で、時間のある時は徒歩で出掛けることが多く、よく旧味噌蔵町を通ります。雪道はバイクが使えないので、スタコラ、すたこら、行ったり戻ったり、子供の頃、大好きだった“道草”を楽しんでいます。 (店頭の暖簾) 今日はお昼過ぎ、何年か前、来た事のあるお蕎麦屋さんに暖簾が掛かっているのが見えたので“道草”をしました。 (お店の看板)...
View Article天神さん③天神信仰と金沢
【金沢城下・田井】 天神さんは、“天つ神“の総称で、菅原道真公一人の神号ではありません。元々の天神は天から降ってくる火雷天神で雷の神とされ、雨は農作物の成育に欠かせないもので、雷は”農耕の神“でもありました。 (稲妻は稲の夫(つま)の意。稲の結実期に多く起こるので、これによって稲が実ると考えられ、稲と交わる(sexする)ので、雨の下に田を書き雷にいう文字なったといいます。)...
View Article古地図に“千秋家”が・・・①
【常盤橋→浅野川大橋】 延宝金沢図で味噌蔵町を探していたら千秋家が目に留まりました。さらに下って幕末の地図を調べると、近くに他2軒の千秋家が載っています。昔、黒沢映画によく出ていた千秋実の千秋“ちあき“ではなく、金沢の千秋家は“せんしゅうけ”と呼ぶそうです。 (本家千秋彦兵衛家跡・金沢中央消防署味噌蔵町出張所)...
View Article千秋主殿助範尚と末森の戦い
【常盤橋→天神橋】 天正12年(1584)9月9日の“末森の戦い”は、前田利家公にとっては唯一の自らの判断で行った戦闘だったといわれています。 (末森城跡)...
View Article武佐の広済寺さん“実如上人の親筆”
【鈴見橋→常盤橋】 3月3日の日曜日。広坂通りを歩いていて武佐の広済寺さんの“法宝物御忌”のポスターを見ました。武佐の広済寺さんは前にも“扇町”や“あかつき屋さん“のところでも書きましたが、ポスターには4時までとあり、先の会合を中座して、扇町まで早足に息を切らせて駆けつけました。 (広坂通りで見た広済寺のポスター)...
View ArticlePR: So-net 光 with フレッツ S[東日本]
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View Articleひがし茶屋街の“押寿し体験厨房”
【梅の橋→浅野川大橋(右岸)】 人気の“ひがし茶屋街”は、しばらく行かないと、お店がどんどん増えているのにビックリさせられます。今や箔屋さんや工芸のお店だけでなく、烏骨鶏や佃煮、麩(ふ)のお店など食の有名店も出店し、益々賑わっていくように感じられます。 (今月オープンした、押寿し体験厨房金澤寿し)...
View Article金沢の4つ目の寺院群は・・・。
【小橋→応化(おいげ)橋】 3月9日、金沢のホテルで開催された「百年後の国宝を作ろう」キャンペーンの市民講座に行ってきました。今回は”城下町金沢を築いた武将たち“をテーマに、城下町が形成された歴史に焦点を合わせた講演とパネル討論でした。...
View Article左岸は石川郡、右岸は河北郡、田上の駅は・・・
【浅野川左岸と右岸】 金沢城の石川門は石川郡、河北門は河北郡を向いているからといわれていましたが、一昨年、野々市町が市制施行により、石川郡は昔の話になってしまいました。もう何年かすると“石川県にあるから石川門や”なんていう人は、四方やいないと思いますが、1190年間も続いた県名の元といわれる由緒ある郡の名が消えてしまいました。時代ですかネ・・・。 (石川郡向きの金沢城石川門)...
View Articleボランティアガイドの“穴水研修”
【ほっと石川・鳳珠郡穴水町】 3月16日、年に3回の“ほっと石川観光ボランティアガイド”の今年度最後の研修が能登の穴水町で開催され参加しました。県内から過去最高の180人もの参加者だそうです。さすが、歴史好きの観光ボランティアガイドの皆さん、知る人ぞ知る”歴史の町穴水”への期待の大きさを窺わせます。 (のとふれあい文化センター)...
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