【金沢。野田山】
真夏、それも炎天下の午前中!!まいどさんの仲間と野田山墓地めぐりをしました。なぜこのくそ暑い時期に・・・?と思われるでしょうが、6月に中山善壱氏の「加賀藩墓地めぐり」の本が発行され、7月のお盆を前に下草が刈られ余り草が伸びないため、やぶ蚊に刺されないだろということ、当然、暑さは折込み済み・・・、さすがに蚊とは無縁でしたが、でも、皆さんバテバテの2時間でした。
「加賀藩墓地めぐり」は“まいどさん”の会員の中山善壱氏が、10数年の調査研究を経て発行にこぎ付けた労作です。氏は59歳で市役所を早期退職し、次の職場として、もの静かな職場を希望したところ、当時、金沢外環状道路山側幹線の建設に引っかかる野田山周辺のお墓の移転を進める現場事務所に嘱託で勤めたそうです。
(野田山墓地)
もともと加賀藩の歴史を少しかじっていたので、歴史上の人物が、ここ野田山に葬られている事を知り、暇があれば、先人が眠る墓を一つずつ探しまわり、先人や有名人の墓の前に立ち、何百年前に活躍した歴史上の人物に思いを馳せ感動を覚え、野田山には、まだ紹介されていない有名人が眠っているのではと思ったそうです。
(中山善壱氏が発見した小堀家の墓所)
(今回は行なかった藩主前田家の墓地)
野田山は、今さら言うまでもありませんが、国史跡の加賀藩前田家の墓所と藩主一族や藩主を支えた加賀八家といわれる重臣、藩士や町人の墓地として、山頂から山復に広がる総面積は43万㎡、兼六園の約4倍、東京ドームの敷地面積約10倍、墓碑は5万基とも10万基ともいわれています。
「加賀藩墓地めぐり」―金沢・野田山に眠る人々。には、加賀藩前田家のほか索引に載っている約300基。今回は“後割乙“という区域を2時間にわたり縦断しました。中山氏から解説を戴いた墓碑は約40基でしたが、本を見ながら歴史上の人物を追って、斜面を登ったり下ったり、名前を聞いたことのある人物への興味、そして仲間と一緒というのが支えに、バテバテで汗を拭き拭きどうにか付いていけました。
(幕末の安達幸之助の墓)
(安達幸之助・浅野屋佐平・新井白蛾)
今回は、広い野田山の中から“後割乙”区域を選んだのは、2時間で回れるところ、それから“まいどさんの仲間”がよく行かれている前田家墓地を避けること、そして、日頃、名前が出てくる藩政期の有名人や画家そして幕末に活躍した人物の墓碑が多いということから中山氏に選んで戴きました。
野田山を歩いて感じたことは、広大な山の斜面に展開されている加賀藩だからこその墓地、そして400年に渡る加賀藩の歴史、この地で生きた人々の証としての墓碑、それから、この調査と研究に60歳を過ぎてから、命がけで取り組んだという中山善壱氏の勇気と根気と情熱に感服しました。
金沢の歴史や人物に興味のある方には、「加賀藩墓地めぐり」―金沢・野田山に眠る人々。をお勧めします。
(町人の墓)
参考文献:「加賀藩墓地めぐり」―金沢・野田山に眠る人々― 中山善壱著・北国新聞社出版局 平成28年6月発行