【浅野川東山緑地→瓢箪町】
6月に秋声の文学散歩を企画しました。8月は暑いから、朝、早くにしようと言うことになり、集合9時30分からという事ですが、スタート地点の東山河岸緑地では、もう汗ダクで木陰を探して前振りトークをしました。
徳田秋声の文学散歩は5年ぶり、予定のコースは、東山河岸緑地の隣、秋声が小学校時代に過したという駐車場から始まり、「挿話」のひがし茶屋街、“浅野川大橋”を渡り、主計町から「町の踊り場」に出てくるダンスホールのあった新町へ、鏡花の「化鳥」の“中の橋”を渡り、自伝的小説「光を追うて」に書かれている芝居小屋跡から小橋へ、そして、かって住んだ異母姉の嫁ぎ先で円融寺前の大田家、そして子供の頃過した浅野町にある浅野神社、浅野川を渡り異母兄の正田家には11時過ぎには入れる筈でした。
ひがし茶屋街と秋聲
http://ameblo.jp/kanazawa-saihakken/entry-11535201340.html
「町の踊り場」と十代目水野源六
http://ameblo.jp/kanazawa-saihakken/entry-10619354251.html
実は、ガイド役を務めるHさんが、あまりにも暑いため、熱中症を心配して、途中、冷房の効いた休憩と冷たいお茶のサービスのある黄金の茶室で有名な「箔座」の見学を挟んでくれ、お陰様で私は頭がガンガンいっていたのが治まり、また、こんな機会でもなければ拝む事の出来ない眩しいばかりの茶室の輝きに触れ、ある意味、秀吉の悪趣味だと決めつけていた黄金の持つ魔力に圧倒され、30分も時間がオーバーしてしましたが、Hさんの配慮にみなさんも喜んでいました。
(浅野神社を出たところで、正午になり、今回の最終地点レンタル&シェアスペース「金沢カフェ&カルチャーまちの踊り場」の管理人さんより、参加者にアクシデントが起こったのではと心配の電話もあり、近道を通り“昌永橋”を渡り、計画の2ヶ所をパスして「まちの踊り場」に急ぎました。)
徳田秋声。異母兄の家
http://ameblo.jp/kanazawa-saihakken/entry-10832043057.html
「まちの踊り場」は、秋声の異母兄正田順太郎の家。秋声が金沢に帰省した際に滞在した家でした。レンタル&シェアスペース「金沢カフェ&カルチャーまちの踊り場」は短編小説「町の踊り場」には、当時の様子が随所に書かれています。その一説を引用すると、「兄は長いあひだ委まかされてゐた礦山をおりて、こゝで静かに老後を過してゐた。勉学に耽ふけりすぎて、肋膜をわづらつた上の孫は、もう十九であつた。中佐である養嗣子の顎鬚には、少し白い毛が交つてゐた。久しく逢あはなかつた嫁さんは、身装もかまはずに、肥つた体を忙しく動かして、好きマダム振りを発揮してゐた。」等々
(秋声が眺めた正田邸の庭)
永らく空家になっていた、この瓢箪町の徳田秋声ゆかりの「正田順太郎邸」が去年6月に改装され、イベントなどに一時利用できる施設「まちの踊り場」として貸し出されています。また、地域の人の利用のみならず、元武家屋敷の建物は観光客の新たな観光スポットにというものです。
(家具や室内は大正か昭和か・・・?)
(秋声の異母兄の順太郎が明治期に購入し、約800坪の敷地に木造2階家屋、金沢にもう実家のない秋声が金沢に帰省した時に滞在し、執筆に使った部屋もあるという。小説の舞台ともなっています。)
平成27年(2015)6月8日(北国新聞朝刊)
その経緯については、由緒あるこの建物の保存に金沢や東京、大阪の建築家や不動産業者らがプロジェクトチームを作って活用策を検討。道路が狭い住宅街にあるため飲食店や物販の施設として使うのは難しいことから、時間貸しの施設として活用することを決め、施設名のレンタル&シェアスペース「金沢カフェ&カルチャーまちの踊り場」は、勿論秋声の小説「町の踊り場」からだという。
(養嗣子の彰二郎の軍隊用のトランク)
施設の利用は、1日または1時間単位で貸し出す。和室や茶室は展示会や習い事、結婚式、カフェスペースは日替わりカフェや開業前のトライアルとしての利用を想定され、収容人数は、庭も含めてガーデンウェディングやパーティーなどを行う場合は最大100人、カフェスペースはテーブル席を合わせて20~30人だそうです。
今回の文学散歩は、暑くて、冷を求め一服した“箔座”の話やレンタル&シェアスペース「金沢カフェ&カルチャーまちの踊り場」に肩入れしてしまいました。
「まちの踊り場」の管理人で、最近、広島からいらっしゃった老夫婦の親切な応対に感謝して終わりにします。