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本多の森公園と文化施設

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【兼六町・出羽町・石引】

本多の森公園は、兼六園の南側に位置し石川県営の都市公園で、多くの文化施設が整備されています。公園開設は昭和53年(197841日で、敷地面積は5.9ha。開設者は石川県ですが、平成19年(2007)からは指定管理者制度を導入し、公園の管理は指定管理者の「植宗・吉村グループ」が行っています。

 

 (本多の森公園の歴史博物館の門柱)

 

このあたり一帯は、藩政期に加賀藩の筆頭家老本多家上屋敷と武家屋敷が連なる出羽殿町があったところです。 明治期から終戦まで陸軍の施設と練兵場、後に練兵場は陸軍病院の分院になり、戦後は市立金沢美術工芸大学や金沢女子短大の学校用地として利用されていました。周辺は藩政期からあった緑濃い森でおおわれ、森の中には歴史博物館、美術館、能楽堂をはじめとする文化施設が多く、一帯は「兼六園周辺文化の森」として、また、石川県立美術館の裏にある「美術の小径」「歴史の小径」を下ると本多町の「本多公園」で、市立の中村記念美術館鈴木大拙館に繋がっています。

 

 

(本多の森公園の案内図)

 

[本多の森公園の文化施設]

石川県立美術館920-0963 石川県金沢市出羽町2−1

別館石川県文化財保存修復工房)

http://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=1&cad=rja&uact=8&ved=0ahUKEwic9OSYtIDWAhXIgbwKHYxXC9MQFggoMAA&url=http%3A%2F%2Fwww.ishibi.pref.ishikawa.jp%2F&usg=AFQjCNElaro8v5BgVuOISW4vJZ-W_D7T1A

 

( 石川県立美術館)

( 石川県文化財保存修復工房)

 

 

石川県立歴史博物館 920-0963 石川県金沢市出羽町3−1

金沢美術工芸大学の建物を、金沢市から譲り受け、昭和61年(1986)に開館しました。施設は、本多の森公園の緑に囲まれ、多くの文化施設に隣接しています。平成25年(20133月からリニューアル工事が行われ、北陸新幹線開業後の平成272015417日、「いしかわ赤レンガミュージアム」の一環として、敷地内で同居する加賀本多博物館と共にリニューアルオープンしました。建物は明治42年(1909)から大正3年(1914)に建てられた金澤陸軍兵器支廠の兵器庫3棟で類例の少ない建物で平成2年(1990)に国の重要文化財に指定され、平成10年(1998)には旧建設省の50周年を記念した公共建築100選の一つに選ばれています。

 (石川県立歴史博物館)

 

加賀本多博物館 920-0963 石川県金沢市出羽町3−1

加賀藩の家老を務めた本多氏の所蔵品、約1,000点をもとに、藩老本多蔵品館として1973年に開館しました。藩主からの拝領品が多くありますが、中でも豊臣秀吉が命名したとされる「村雨の壷」は、初代本多政重が藩主前田利長公から5万石の加増を固辞した時に代わりに拝領したもので、「五万石の壷」という異名があります。 一旦閉館したのちに、2015417日に石川県立歴史博物館敷地内に同居する形で「加賀本多博物館」としてリニューアルオープンしました。

 

  (加賀本多博物館)

 

[周辺の建造物]

石川護国神社 920-0935 石川県金沢市石引4−18−1

戊辰戦争で戦死した加賀藩の108人の霊を祀るため、明治3年(1870)に加賀藩14代藩主前田慶寧公が卯辰山の鳶ヶ峯に創建した招魂社で、境内が狭く式典を行うのが困難であったため、昭和10年(1935)現在地である旧陸軍小立野練兵場の一角に遷座します。昭和14年(1939)石川護国神社に改称した。

 

 

(石川護国神社)

 

平成12年(200084日、境内の参道に「大東亜聖戦大碑」が建立され、平成22年(2010年)1011日、「輝く天命戦の真実を知れ」と題する副碑の落慶記念式典が催されます。当時、石川護国神社も県の都市公園「本多の森公園」の敷地内に含まれていました。

 

 (大東亜聖戦大碑)

 

 

(私の記憶では「大東亜聖戦大碑」は、特定の団体が独自の主張で建てられたということで、その頃、本多の森公園から外されたと新聞が書き立てていたことが思い出されます。)

 

本多の森ホール・石川県本多の森庁舎 9200935金沢市石引4丁目17

北陸電力会館本多の森ホール(旧石川厚生年金会館):石川県立美術館・石川県立歴史博物館・加賀本多博物館・成巽閣・石川県立伝統産業工芸館・石川県立能楽堂などの隣に位置し、一部庭園部分は本多の森公園に属しています。石川県営兼六園野球場(1973閉鎖)の跡地に昭和52年(197751日に石川厚生年金会館が完成しました。建築家黒川紀章の設計で、熊谷組が施工し、許される建蔽率を最大限利用し、野球場の外野席跡の半丸の形状に沿った扇形の外観で、収容人数は1707席で、今、金沢で2番目に大きさのホールです。平成21年(20091016日にホール部分が「北陸電力会館 本多の森ホール」として開館しました。

 

 

(本多の森ホール)

 

(ホールの名称ですが、ホールは石引4丁目にあり、また、本多の森公園の敷地からはずれていますが、隣りに位置することから「北陸電力会館本多の森ホール」と命名されたのでしょう)

 

厚生年金の不祥事から、平成17年(2005)に施設保有権が社会保険庁からRFD(独立行政法人年金健康保険福祉施設整理機構)に移管され民間への売却が検討され、財団法人厚生年金事業振興団が平成21年(2009)まで運営していたRFOの石川厚生年金会館の大ホールは、北陸電力が9億円で落札されました。

 

 

(本多の森ホール・石川本多の森庁舎)

 

石川県本多の森庁舎:旧石川厚生年金会館のホテル、結婚式場の部分は石川県が取得し、これまで利用していた「石川県広坂庁舎」を廃止し、平成23年(2011314日に「石川県本多の森庁舎」として開設。現在、石川県立生涯学習センター、ジョブカフェ石川などが入居しています。

 

 

石川県立能楽堂 920-0935金沢市石引4丁目183

http://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=1&cad=rja&uact=8&ved=0ahUKEwjX58rksoDWAhWCe7wKHYLPBrAQFggoMAA&url=http%3A%2F%2Fwww.pref.ishikawa.lg.jp%2Fnougakudo%2Fnougakudoutop.html&usg=AFQjCNEy4akJOfgqjRDsjptNfEJoHNkQSA

 

(石川県立能楽堂)

 

成巽閣 920-0935金沢市兼六町12

金沢 加賀前田家の奥方御殿成巽閣

http://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=1&cad=rja&uact=8&ved=0ahUKEwiir9fYsYDWAhUJabwKHfusDbMQFggoMAA&url=http%3A%2F%2Fwww.seisonkaku.com%2F&usg=AFQjCNHPZX1qTO0quQnMp_MfUUEKQptreA

 

 

  (成巽閣)

 

石川県立伝統産業工芸館 920-0936石川県金沢市兼六町11

http://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=1&cad=rja&uact=8&ved=0ahUKEwjo8LPzsIDWAhUMfLwKHVa9DNsQFggoMAA&url=http%3A%2F%2Fwww.ishikawa-densankan.jp%2F&usg=AFQjCNEibQY6nm4B1q-kLJoKmyYxohbyQA

 

 

疑問:Googleの地図に「出羽町公園」とあるのは、本多の森ホールの裏の庭園を言うのではなかと思いますが、その入口に「本多の森公園」のポールが立っています。何故そうなったのか?その経緯などご存知の方教えていただければ幸いです。

 

 

(本多の森公園の看板・本多の森ホールの横)

 

参考資料:石川県/本多の森公園(金沢市)-石川県ホームページ

http://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=4&cad=rja&uact=8&ved=0ahUKEwjMlo39k_7VAhWEe7wKHVC3B-IQFghMMAM&url=http%3A%2F%2Fwww.pref.ishikawa.lg.jp%2Fkouen%2Fmap%2Fpark%2Fhonda%2F&usg=AFQjCNESCbtKcH7JSqe0V8zP5UmUxCe4sg


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