【金沢・長町】
今日は、西南戦争で西郷隆盛の“首を拾った男”といわれた千田文次郎登文中尉の金沢でのお話です。実は、金沢観光で知られる長町武家屋敷の一画に千田家があります。金沢市内の方でもあまり知らないようですが、今は、孫平衛氏の未亡人で香道の先生と身内の家族が住んでいらっしゃるそうです。たまに香道や学生の庭や池の作業ボランティアなどでテレビや新聞で紹介されていますが、町の賑わいとは隔絶するような幅のある大野庄用水と土塀に囲まれています。
(長町の千田家)
その大野庄用水を挟んだ向かいには、観光客の方が、一寸休憩したり、トイレに行ける長町武家屋敷休憩館があります。そこは私も関わっている金沢観光ボランティアガイドの詰所になっていて、向側の千田家の土塀の切れ目に大野庄用水の「長町三の橋」が架かり、小路の左側に千田家の門があり、右側に公開されている藩政期には“1200石の武家屋敷野村家”があります。
(橋の向い側が長町武家屋敷休憩館)
10数年前に、新人ガイドの私が観光ボランティアガイドで「長町武家屋敷休憩館」へ当番で出勤し、待機中に先輩に長町がらみのガイドトークを教わっている中に、向かいの千田中尉の話になり、興味を持つと、後日、その先輩から「西郷の首を拾った男」の記事が載っている雑誌のコピーが送られてきました。
(今もそうですが、当番は新人、中堅、ベテランの3人構成で毎日変わります。なかなか慣れなくてガイドに出られない新人もいたりして、先輩と組むことで、地域のガイドネタの勉強が出来、早くガイドが出来るようになります。)
(瓦の土塀が大戸家その隣り板屋根が千田家)
先日、小説「西郷の首」を手にしたとき、その「西郷の首を拾った男」を思い出し、スクラップを調べるとコピーは感熱式で、10数年も経ると劣化して字が読めなくなっていました。それで版元へバックナンバーを尋ねるやら雑誌のコピーがないかメンバーに聞くなどして、やっと取り寄せますと、何と執筆者は、千田家の隣にお住まいだった元新聞記者で郷土史家の大戸宏(おおとこう)氏だということが分かりました。
(大戸宏著「長町ひるさがり」)
大戸氏は、昭和52年(1977)~昭和64年(1989)まで、金沢小説小品集五巻86編を自費出版され、昭和 53年(1978)発行の「長町ひるさがり」は鏡花市民文学賞を受賞され、地元では有名な方で、早速、図書館へ行きバックナンバーを調べてみると、その「長町ひるさがり」に「南州翁の首」という題名で載っていました。400字詰め原稿用紙で16枚の短編で、調べるとそれより20年も前の昭和 33年(1958)12月に初めてお書きになっていて、私が始めて読んだ月刊アクタスの記事から38年も前に書かれたことが分かりました。
(月刊アクタスの西郷の首を拾った男)
(長町ひるさがりー南州翁の首ー)
≪以下は「南州翁の首」にある首発見のくだりの引用≫
“中尉と従卒が再び腰を上げて捜索をはじめ、やがて門の側溝の中に、白い木綿布でくるんだ首級があるのを発見するまでには、ものの三分とかからなかった。小躍りしながら重い布包みを抱えて駈けて行く途中、本陣跡の哨所につく一箇分隊の兵卒たちとすれ違った。
「あったぞお。見つかったぞお」
大声あげて走る主従の二人を下士と兵卒たちがあっけにとたれて見送っていた。“
(長町武家屋敷野村家その左隣りが千田家)
≪金沢小説小品集Ⅱ「長町ひるさがり」の跋の「読者のご参考までに」を、千田登文の孫千田平衛氏お書きになっていますので、以下引用≫
市内の武家屋敷といわれる一画、わが家と宏さんの家も三代続いた隣同士で古い家の多い長町でも息の長い部類です。第一巻の「梅本館の乃木将軍」と第二巻の「南州翁の首」は私の祖父・千田登文にまつわる実話で、恐らく晩年の祖父の口語りや陣中日記が、祖父か父から宏さんの父上に伝わり息子の彼が独特の筆致で小説にまとめたものです。
戦犯裁判を扱った「父の鼓動」の主人公の憲兵大佐「野郎がいる戦場」の五人の兵士、皆、金沢の人たちで、短い創作小説とはいえ切々と胸を打つものがあります。「南州翁の首」は彼が既に発表した作品ですが、今回は歩兵七連隊の軍旗が登場するので懐かしい方のいらっしゃることでしょう。宏さんは常に謙虚で誠実な人です。
作品中の人物、場所、日時など各篇にわたって細心の気くばりがうかがえます。両家ともかっては陸軍のメシを食った仲ですが、何かにつけ心の通う隣家のあるじの健闘を祈っています。と結んでいます。
(大野庄用水と武家屋敷野村家その後ろの木の所が千田家)
≪大戸宏氏が執筆された「南州翁(西郷)の首」≫
昭和 33年(1958)12月「南州翁の首」起稿 ・ 昭和 53年(1978) 4月「金沢小説小品集Ⅱ長町ひるさがり―南州翁の首」自費出版 ・ 平成 8年(1996) 4月 迷宮の旅「七連隊・千田中尉西南戦争の秘話―西郷の首を拾った男―」月刊アクタス4月号
(長町三の橋と千田家)
大戸宏(おおとこう):大正14年(1925)1月元旦~平成16年(2004)3月1日。
金沢の長町で職業軍人、警察官だった父・多次郎の6男として出生。旧石川県立金沢第二中学校四十二回生。陸軍航空学校第十二回生、陸軍飛行学校第七回生。昭和20年12月、金沢師管区司令部参謀部で復員。北国新聞記者として入社、編集局整理部長、事業部長、広告局長、販売局長を経て学校法人金沢女子短期大学常務理事、法人本部長、同大学教授(文章表現学)で退職。社会福祉法人聖霊病院常務理事、北陸日米協会、ユネスコ石川、石川県民謡協会、兼六民謡会などの関係。金沢市民文学賞選考委員、用水モニター、長土塀公民館長などに奉仕。昭和53年に泉鏡花市民文学賞を受ける。広坂教会籍カトリック信徒。
(経歴は、大戸宏氏のお書きになってものを参考にしました。)
参考文献:金沢小説小品集Ⅱ「長町ひるさがり―南州翁の首」北国出版社 昭和53年(1978)4月発行(「南州翁の首」は、昭和33年(1958)12月・大戸宏著)迷宮の旅「七連隊・千田中尉西南戦争の秘話―西郷の首を拾った男―」月刊アクタス北国新聞社出版局 平成 8年(1996) 4月号