この秋、「工芸」という言葉が多くの新聞に載りTVやSNSに露出され、金沢のあちこちで工芸イベントが開催されました。しかも金沢の若手の作家の作品が町家やホテルを舞台に展示され、従来の工芸ファンに留まらず多くの若いファンが駆けつけ盛り上がりました。
この時期金沢では、過去の東京、京都で開催された「21世紀鷹峰フォーラム」が52日間に渡り開催され、金沢や石川の作家の作品だけでなく、広く日本の新進作家の作品や国内外の作家やギャラリーや美術館長などを迎えて、工芸の新たな市場を生むためのジンポジューム等が開催されました。
もともと工芸は、金沢にとって藩政期から明治維新そして戦後復興期と金沢を支えてきましたが、近年は、作家はともかくとして工芸産業の衰退期。そこにパッと火をつけたのが平成24年(2012)に、21美の秋元館長がアートとしての新しい工芸として提唱した「工芸未来派」が開催されます。
●工芸未来派について拙ブログ
百万石工芸復興の父―島田佳矣
https://ameblo.jp/kanazawa-saihakken/entry-11264279168.html
2012・05・30
工芸未来派サテライトを見て
https://ameblo.jp/kanazawa-saihakken/entry-11341333322.html
2012・08・30
今回のお話は、「建築を、ひとつの工芸として考える」をテーマに、11月7日(火曜日)〜11月19日(日曜日)まで、金沢21世紀美術館地下市民ギャラリーに於いて開催された「工芸建築展」について私なりに感じたことを思いつくままに書くことにします。
この展覧会は、工芸と建築を×(掛け算)ることで新たな文化が生まれるという可能性に掛けたもので、工芸と建築の垣根を無くして考える実験的な試みで、今の21美秋山特任館長の提唱からスタートして、過去に何回かフォーラムが開催され、私も参加させて頂きましたが、この掛け算が頭の固い私にはピンとこなくて、言葉の定義から入り、+(足し算)しか思いつかず「工芸的建築物」と訳してしまい、具体的には茶室や明治の洋館のような手造りの建物が頭にこびり付いて離れませんでした。
工芸という曖昧な概念と建築というこれまた曖昧な概念では、まともに考えると、益々こんがらかって、それでよく似た例を調べてみると、著名な工芸家が言った美術のような工芸を「美術工芸」工芸としての美術を「工芸美術」言うのや、明治のウィーン万博でドイツ語Kunstgewerbe(クンストゲヴェルベ)を美術工業(工藝)と訳したあたりまし遡りますが、益々、工芸建築が分からなくなり、お手上げ状態で付いていけなくなりました。
●工芸について拙ブログ
美術工業って!?
https://ameblo.jp/kanazawa-saihakken/entry-12121084797.html
2016・1.24
工芸って何!?
https://ameblo.jp/kanazawa-saihakken/entry-12119955765.html
2016・2・21
ところが“百聞は一見にしかず”です。11人の9出品作は、それぞれの分野(建築家・デザイナー・画家・工芸家)の作家の作品で、その人達のコラボ作品などもあり、従来の定義を意識しない新しい物や工芸的とも建築物とはいえない作品などもあり、私のような固い頭で思う「工芸建築」とは全く違う展示でした。なんじゃこりや?思いながら、よくよく観察すると、私が思う”工芸建築の定義”の作品展示ではなく、工芸建築という言葉そのものを作品にした展示であり、そう云う事だったのかと納得しますと何か面白くなってきました。
●工芸建築について悩んだ拙ブログ
工芸建築って!?
https://ameblo.jp/kanazawa-saihakken/entry-12132992933.html
2016・2・26
作品は、11人の作家による9点の作品が展示されていました。パンフレットによると狙いは、材料から生産までのものづくりのサイクルを見直す契機としたい。モダニズムの生産システムに影響を受けた建築として、乗り越えることができるかどうか。同時に、工芸と建築に張り付く概念を変え、作り方も変えることができれば面白いと思っています。とあります。
そして、開催された13日間に14,000人の多くの来場者を迎え盛況のうちに終わったそうです。