【江戸・勘定奉行所】
経済に疎い私ですが、元禄時代の経済を少し勉強しました。一般論ですが、江戸初期から中期。幕府の収入は、年貢、貿易収入、金銀鉱山収入です。まず年貢ですが、生産高の増加に伴い年貢は増加しましたが米価は上がらず、さらに貿易も日本から“売る”ばかりではなくお金が足りなくて何も買えない縮小状態。金銀鉱山収入は、前にも書きましたが、鉱物資源が枯渇し激減。今の経済学的で云えば、「デフレ状態」で通貨の市場流通量は少なく、お米の価値は低くかったと云います。
したがって、お米をいくら作っても通貨量が増えない限り収入は増えない。その頃、明暦の大火(1657・3・2~ 4)や天災などの臨時支出が増え家康が残していた金銀(貯金)を全て使い果たし、5代将軍綱吉の浪費や商業が発達による物流などの流通機構が整備されお金(通貨)が不足します。
元禄期の流通機構の整備は、商業が盛んになり貨幣経済が確立されると、戦国期の苦しい時代から民衆も生活水準が向上し、生活必需品以外の商品を購入する余裕ができ、流通が盛んになり、その取引のためお金(通貨)が必要になったのです。
その頃、幕府は収入を増加させる策をほとんど失い、しかも支出は増え、一方全国的に物資が流通し始め、お金(通貨)が足りず、結果として「デフレ状態」になり、荻原重秀の登場となります。そして、日本初の貨幣政策で、出目(益金)収入による幕府収入の増加と貨幣流通量の増加により、現在云うところの「インフレ状態」になり物価も上昇し収入も増加します。
(一般的にデフレとは、私たちが普段買っている日用品やサービスの値段(物価)が全体的に下がる現象です。 つまり、モノに対して、貨幣の価値が上がっていく状態を指します。 デフレになるとモノが売れず不景気になります。 企業の業績は悪化し、従業員の給与が減ったり、リストラにより失業者が増えたりします。インフレとは、デフレの逆で、物より物価が上がり収入も増加するので、消費も増え景気が良くなります。現在では緩やかなインフレ(インフレ率2%前後)が望ましいと云われています。インフレ率(消費者物価指数(CPI)は上り、経済成長が急激に加速すると、それを上回るペースで需要が拡がり、生産者は頻繁に製品価格の引き上げを行い、その結果、物価が連鎖的に上昇することがあります。これは「ハイパーインフレ」と呼ばれます。)
ところが、この元禄の改鋳は、実物貨幣(秤量貨幣)から名目貨幣の第一歩で、さまざまな問題が持ち上がります。その最大の原因は、富裕層の慶長小判の退蔵で、偽造との闘いと貿易決済問題の三重苦に悩みます。
先ず退蔵ですが、幕府は出目(益金)を稼ぐため旧貨(慶長小判)との交換です。幕府は退蔵を禁じ、交換を命ずる布告を出しますが、増歩(プレミア)が1%と低く、それでも何度も旧貨通用禁止を出しますが、中々交換は進みません。その間、元禄10年(1697)には、従来なかった補助貨幣二朱金(1分金の半分・1両の8分の1)を新規に発行し、旧貨(慶長小判)にはない便利さを加え、さらに一分金を銭(寛永通宝)に両替すると千文になるようにし利便性を向上され、元禄小判とその流通を促進します。
貨幣偽造との闘いですが、名目貨幣の歴史は偽造の歴史と云われているように、犯罪集団と当局の果てしない闘いの歴史です。これを放置すれば、市場経済に大混乱に陥り、税収は大幅に落ち込む。あとは厳罰を持って偽造を取り締まるよりほかにない。これは現在も同じです。
つぎに貿易の決済ですが、国内の閉鎖経済圏内では品位を落とした貨幣でも強引に通用させることが出来ますが、貿易ではそうはいかない、荻原重秀(彦次郎)は宝永7年(1710)朝鮮貿易に慶長銀と同じ品位の銀を鋳造され貿易決済用に充てたという記録があるそうです。
【参考】 経済とは、中国の古典に登場する語の「経世済民」のことで「世の中を治め、民衆を苦しみから救済すること。」本来はより広く政治・統治・行政全般を指示する言語でした。今日の経済は英語の「Economyエコノミー」の訳語として使われ、物やサービスを生産する企業と消費する消費者である家庭、公共的サービスを提供する政府の3つに分けられています。その経済を主な対象とする学問を経済学という。
経済政策とは、経済に対して政府が行う政策の総称をいう。マクロ経済政策としては、財政当局(財務省)が実施する財政政策、日本銀行が実施する金融政策、ミクロ経済政策としては、競争政策、経済的規制政策、産業政策などがあるとされています。
財政政策とは、主に国の財政の歳入や歳出を通じて総需要を管理し、経済に影響を及ぼす政策のことで金融政策とならぶマクロ経済政策の柱で、政府の支出拡大による財政政策は拡張的財政政策と呼ばれます。税制や国債などによる歳入の政策と、社会保障や公共投資などからなる歳出の政策があります。
金融政策とは、日本銀行が行う金融面からの経済政策のことで財政政策とならぶマクロ経済政策の柱です。金融政策は経済を持続的に拡大させることが最終的な目的で、物価や通貨価値の安定、さらに景気対策の一環として、金融引き締め、金融緩和を行い、手段としては、基準割引率および基準貸付利率(公定歩合)や預金準備率(準備預金制度)を変更させたり、公開市場操作を行い金利や通貨供給量(マネーサプライ)を操作の目標として、その結果としての為替レートなどが上げられます。 |
(つづく)
参考文献:「勘定奉行荻原重秀の生涯」村井淳志著 集英社新書 2007年3月発行・フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」など