【下田上橋→旭橋】
金沢市長を平成2年(1990)から20年間務められた山出保さんの“文化でまちづくり「金沢の気骨」”と題する本が今日出版されました。帯紙には、五木寛之氏が練られた言葉で一政治家の自伝ではなく、金沢文化遺産の一つといってもいい労作だとお奨めなさっています。
(自伝ですから「金沢の気骨」ということなのでしょうが、読み進めていていくにつれ、気骨の人は山出保さんだということに気付かされます。今まで私が見聞きした範囲で推し量っても、金沢再生には氏の”気骨“ある決断なくして、成し得なかったのではと思うからです。)
発売されたばかりの本でもあり、内容まで書くわけには行きません。また、書評を書くほどの知識も見識もがないので、目次などページページで噴出する真情や心情、そして、教えられる幾つかを拾い書きします。
(金沢21世紀美術館)
冒頭では、5期20年市長として「苟(まこと)に日に新たに、日々に新たにして、又た日に新たなり」を座右の銘に全力で市政の運営に当たってきたこと、そして、生まれ育った金沢への愛着、歴史と文化を磨き世界に発信し、町を美しく仕上げることへの誓い、そのために自ら町を元気にする「攪拌機(かくはんき)になろうとおっしゃっています。
(文化でまちづくり「金沢の気骨」)
ああ~。書きだすと長くなりそう。それで今回は“第1章歴史都市に現代をつくる“から”第6章視座を世界に”そして終章まで、私が感じた幾つかのキーワードをアトランダムに紹介させて頂き、一人でも多くの市民の皆様に読んで戴く一助になればと思います。
≪気になるキーワード≫
「夢を見ることの出来ない人は、明日を生きられない」エルンスト・トラー
「スーッとやるんだ」鈴木大拙
(鈴木大拙館)
「金輪際、威張らない」山出保
「経済と文化は不即不離じゃないですか」山出保
「前田の殿様は湯水のように文化に金を使った」立花隆
「430年金沢は戦禍なし」永井道雄
「内発的発展」佐々木雅幸
「観光都市とは言わせない」山出保
「人を信用すれば、その人は応える」山出保
「金沢はサンジャのまち」西田幾多郎
(ひがし茶屋街)
「現状に甘んじるな」山出保
「歩いて巡って学ぶまち」山出保
「今の日本から失せたものは”湿り気“でしょう」五木寛之
(五木文庫のある金沢文芸館)
「なりわいの景観」山出保
「金沢は金沢の論理で」山出保
「だめです。参道の原形を壊してしまったら」桜井敏雄
「植木屋の回し者」山出保
「地方の反骨」山出保
「独自性はサムライ文化」山出保
「文化のまちが最優先」山出保
「作家と職人は同じか」エルメス社5代目ジャン・ルイ・デュマ
等々。
そして山出氏は、人の話をよく聞き、多く人から学びそれを活かす術を教えています。また、かって仕えた3人の市長、徳田與吉郎氏からは「気迫」を岡良一氏は「不屈」、江川昇氏は「熟慮」を学んだとおっしゃつています。そして山出氏から私達は「気骨」を教えて戴きました。
(金沢駅もてなしドーム)
実は、私にとって忘れられない思い出があります。60歳を過ぎ“暇つぶし”に、当時オープンをするという金沢21世紀美術館のボランティアに参加しました。オープン当日でした。すべてのセレモニーが終わり、市長はお付きの人もなく一人疲れきった様子で、とぼとぼと長い通路を歩いて来ました。そして私は、新聞の写真でしか知らなかった市長に“お疲れさま“と声を掛けていました。
すると、どこの誰かも分からない私に、なだれ込むように抱きつき、感謝の言葉を述べられたのにビックリするとともに、いい知れぬ感動を覚えました。多分、山出氏はお忘れでしょうが、そのことが有って以来、私のボランティアは、単なる“暇つぶし”ではなくなっていました。
参考文献:文化でまちづくり「金沢の気骨」平成25年4月・北国新聞社発行