【金沢→江戸】
加賀藩の大名行列⑥の「参勤交代の総額の費用しらべ帳」で文化5年(1808)の御帰国御入用銀の明細に総額銀332貫66匁8分8厘(現在の貨幣価値で約5億3千万円)と書きましたが、分かる人は分かるのでしょうが、私には生活実感がありません。そこで、今回は、現在のお金(円)に置き換え、さらに、自己満足かもしれませんが、より実感できる身近な庶民の生活を相定し調べてみます。
ちなみに幕末の加賀藩の収入ですが、実質藩主の取り分は19万1542石でしかなく、19万石あまりで藩主の私生活、藩の土木事業、江戸屋敷、参勤交代、幕府御用金割り当てと、大藩の対面が保ちきれないほど藩財政は窮迫していました。
(文化文政期の加賀藩の内高は、新田開発などで藩政初期の表高102万石を大いに上回る内高134万石になっていますが、当時のシステムから家臣団及び寺社寄進などで75万石が消え、さらに検地引高13万石を引くと52万石になり、それを五公五民に近い税率を当て、回米を大阪で銀45匁(公定銀では60匁)に売却すると仮定すると、加賀藩の収入19万石が今の143億円に当ります。それによると参勤交代の帰国入用銀5億3千万円は、加賀藩の収入の3,7%に当り、しかもたった13日間のために使っています。)
(表高:江戸初期、幕府公認の検地によって打ち出された表向きの石高。内高:額面上の石高である表高に対する実さいの石高。引高:困窮した農民の救済と再生産維持のための引当金。五公五民:収穫の半分を年貢としておさめる、江戸時代の租税徴収の原則的比率。)
拙ブログ
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江戸後期の江戸庶民の生活を記した文献によると、大工の日当は今の約9,000円(銀5匁4分)。正月、節句などの休日や、天候の理由で仕事を休む日を除くと、当時、年間の労働日数は294日で、年収は今の約270万円(銀1貫587匁6分)で、家賃は、四畳半2間で年間今の20万円(銀120匁)1ヶ月当り今の約17,000円(銀10匁)。家族3人のお米代も同じぐらいで年間今の20万円(銀120匁)。「調味・薪炭代」の割合が高く、年間今の約118万円(銀700匁)と年収の半分近くを占め、贅沢品や娯楽などに使えるお金は決して多くなかったものと思われます。
(詳しく食品の値段を見ると、お豆腐は1丁約390円(12文)。蕎麦屋の蕎麦は1杯約400円(銭16文)。酒はお銚子1本で約300円(銭12文)でした。そんな中で鰻丼は1杯約2,500円(銭100文)、寿司はひとつ約1,500円(銭60文)もするものもあり、これらは庶民にはなかなか手が出せなかったはずです。このほか、銭湯の入浴料は約125円~300円(銭5~12文)、床屋・髪結床の利用料は1000円程度(銭40文ぐらい)だったと云われています。)
(参考:一両(金)=60匁(銀)=4000文(銭)=10万円として換算(銀1匁=1,680円・銭1文=25円)当時は変動相場で時代や景況で相場が変動しますが、今回は上記で換算しました。但し米一石=金一両は江戸時代を通して多少の変化はありますが、概ね決められていました。)
一般的には、以下の説もあります。 江戸時代の貨幣価値を現在のものに換算するのは大変困難です。当時と現在では、世の中の仕組みや人々の暮らし向きが全く異なっているからで、一応の試算として1両を米価、賃金(大工の手間賃)、そば代金と比較してみると、米価は1両=約4万円、賃金で1両=30~40万円、そば代金では1両=12~13万円になるとあります。 |
P.S
当時は、銀180匁(今の約30万円)有れば一家4人が、一ヶ月間楽に食べていけました。
古い川柳に、“三十貫の嫁 いつこくを ぬかす”とあり、30貫もの持参金付の嫁は、それを鼻に掛け頑固で、わがままな娘だと皮肉ったもので、銀30貫(今の約5,000万円)で、当時としては固い利率年利7分2厘(7,2%)でまわしても毎月180匁(約30万円)の利息が見込めました。
(ちなみに、幕府が定めて利率の最高は年利2割(20%)、江戸時代の利子は、銭100文に付1ヶ月4文で年利4割8分(48%)2両(120匁)以下は年利3割2分(32%)10両(銀600匁)以下は年利2割4分(24%)、100両(銀6,000匁)以下は2割(20%)の利息になっていて、下々の借金ほど利率が高かったようです。)
つづく
参考文献:「参勤交代道中記―加賀藩史料を読む-」忠田敏男著 株式会社平凡社 1993年4月発行 「江戸物価事典」展望社ほか (写真は石川県立歴史博物館・金沢市立玉川図書館・Wikipediaなど)