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加賀藩の大名行列⑧一日で終わらない超長大の行列!!
【金沢→江戸】北国下街道の信州柏原宿に住んでいた俳諧師小林一茶が“跡供は 霞ひきけり 加賀守”と詠んだという一句が残されているように、この句からも加賀藩の参勤交代は、とてつもない大行列だったと云うことが窺えます。...
View Article加賀藩の大名行列⑫参勤交代の費用を“円”に置き換えて
【金沢→江戸】加賀藩の大名行列⑥の「参勤交代の総額の費用しらべ帳」で文化5年(1808)の御帰国御入用銀の明細に総額銀332貫66匁8分8厘(現在の貨幣価値で約5億3千万円)と書きましたが、分かる人は分かるのでしょうが、私には生活実感がありません。そこで、今回は、現在のお金(円)に置き換え、さらに、自己満足かもしれませんが、より実感できる身近な庶民の生活を相定し調べてみます。...
View Article加賀藩の大名行列⑬江戸の加賀藩消費額と江戸詰の家臣そして江戸藩邸
伝説・伝承【江戸】江戸中期になると江戸の町方推定人口50万人に達し、幕末には町方推定人口150万都市に発展します。諸大名は参勤交代という軍務を建前とした人質制度から軸足を江戸に置くようになり、必然的に家臣団の江戸詰も増加し、江戸での経費も増大します。加賀藩も江戸中期、藩全体の予算は下記の通り約50%に達し、やがて60%を超えます。 藩政期の加賀藩年間の各都市消費高...
View Article両から圓(円)へ②大隈重信と新通貨制度「圓(円)」
【太政官札(不換紙幣)→新通貨制度】幕府は慶応2年(1866)近代的造幣局を翌々年に設置すると約束していましたが、新政府も、新通貨の制定が課題で、明治元年(1868)には貨幣司が置かれ、閉鎖されたイギリスの香港造幣局の造幣機械を、長崎居住のイギリス人商人トーマス・ブレーク・グラバーを通じ6万ドルで購入し、明治元年(1868)中に造幣機械が到着し、大阪にて造幣工場が建設されます。...
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