天下の書府⑥番外編(藩政期の職人)
【加賀藩・金澤】藩政期の職人は、大工、左官職人のように外で仕事をする出職(でしょく)と、金工や漆工など家で制作する居職(いしょく)とがあり、また、大名の注文により制作する御用職人と庶民を相手にする町職人とに分かられていました。御用職人は屋敷を与えられ、姓が許され、扶持(藩からの手当)まで受ける者もいました。...
View Article昔の金澤④家持ちと借家人
【金澤・藩政期】家持ち(以下亭主という)は云うまでもなく自分の土地に自分の家を建てている人々のことを云い、借家人は借家住まいの人々の事で、前にも書きましたが町のあらゆる会議や行事に出席も発言も出来ない法制的には“町人”とは認められていない人々でした。以下、的確でかなり分かりやすい田中喜男著「金沢町人の世界」を参考にというより殆ど引用させて戴くことします。...
View Article昔の金澤⑦踏んだり蹴ったり宝暦期の前田家
【金澤の藩政期】宝暦期の加賀藩前田家は、延享3年(1746)の7代宗辰公の病没から始まり、宝暦3年(1753)の8代、9代の藩主が相次いで病没と、わずか7年の間に3人の藩主が亡くなり、窮乏する財政対策で銀札発行するが失敗、打ちこわし、城下の大火さらには後継者問題と、踏んだり蹴ったりの事態に、13歳の10代藩主重教公家督を相続します。...
View Article加賀藩の大名行列⑤北国下街道と中山道120里ばかり(約480km)
【金沢→江戸】平成27年(2015)3月14日に長野から金沢まで240kmが延長になり北陸新幹線が開業し”かがやき”が、金沢から2時間28分で東京に着くようになりましたが、そのコースが藩政期参勤交代で加賀藩が江戸へ、227年間に渡り約2000人~4000人もの人々が往復181回、約12泊13日もかけて通った北国下街道と中山道とほぼ同じ距離だそうです。...
View Article加賀藩の大名行列⑥参勤交代の推定道中費用と推定総額
【金沢→江戸】加賀藩では普通の年で2000人から多い年には4000人と多くのお供を連れて、10数日も要する大名行列でしたが、いったいいくらのお金が掛かったのでしょうか?過去の史料から調べたものを少しまとめて見ることにします。...
View Article加賀藩の大名行列⑦北国下街道の河川と橋
【金沢→江戸】加賀藩が、参勤で93回中91回も通った加賀・越中・越後・信濃追分までの北国下街道には、川幅およそ5m以上の河川が73もあり、そのうち橋が架かっているは43の河川で残っている30の河川には橋が架かっていなかったので、徒渡り又は船で渡るか、仮舟橋を架けて越さなければならなかったのです。...
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