貨幣は国家が造るもの・・・⑫ウラ刷り無しのニセ?200円札を発行した高橋是清!!
【日本政府・高橋是清】高橋是清は、昭和2年(1927)「昭和金融恐慌」と呼ばれた経済危機を、たったの44日間で切り抜けた「日本経済を救った偉人」としてよく知られています。戦後、その功績が認められ、昭和26年(1951)には50円札に眼鏡を掛けた肖像が選ばれます。 (お札の肖像の選定は...
View Article貨幣は国家が造るもの・・・⑭戦後の新円切替とハイパー・インフレ!?
【日本】”新円切替“とは、第2世界大戦の敗戦から半年後の昭和21年(1946)2月16日に、幣原内閣が発表した戦後インフレーション対策として行われた金融緊急措置令による新紙幣(新円)発行と従来の紙幣流通の停止された通貨切替政策でした。 (皇居二重橋)...
View Article鼠多門と鼠多門橋①明治の郷土史家の記述
【玉泉院丸→金谷出丸(現尾山神社)】鼠多門と鼠多門橋は、明治17年(1484)に焼失し136年を経て、今月18日に甦ります。平成26年(2014)から平成27年(1015)にかけて復元に向け発掘調査や絵図、文献等の調査を行い、史実に沿った復元工事が平成28年(2018)6月に着工、2年の歳月を掛けて令和2年(2020)7月18日に開門、渡り初めの運びとなりました。 (完成まじかの鼠多門と鼠多門橋)...
View Article鼠多門と鼠多門橋②お抱え蘭方医の異人館
【玉泉院丸→金谷出丸(現尾山神社)】本日7月18日(土)、鼠多門・鼠多門橋復元工事の完成と長町から武家屋敷跡、尾山神社、金沢城公園、兼六園を通り本多の森公園へ至る「加賀百万石回遊ルート」が形成されることを記念し、午後2時30分から金沢城公園内でイベントを開催します。 (鼠多門・鼠多門橋) (イベントは、玉泉院丸庭園で「今井昴&輪島・和太鼓...
View Article鼠多門と鼠多聞橋④玉泉院丸の氷室
【金沢城玉泉院丸】玉泉院丸の休憩所に掲示されている嘉永3年(1850)の絵図に“氷小屋”が描かれているのを知っていながら、万年5歳児の「チコちゃんに叱られ」そうですが、知ったかぶりをして調べてもいませんでした。それが今回の鼠多門の開門で気になりだし、ガイドの血が騒ぎ「金澤古蹟志」を紐解いていました。 (玉泉院丸の氷小屋の図・嘉永3年の図・池側に手木足軽詰所跡)...
View Article金沢城二の丸御殿③10代藩主重教公と金沢城再建
【金沢市・金沢城二の丸】宝暦大火以後、金沢城の再建整備は、結果的には復興に約半世紀の歳月を要しています。二の丸御殿だけを見ても2年後の宝暦11年(1761)4月に上棟式を行い翌々年4月に重教公は一応入居するものの、表御殿や表式台、能舞台は未完のまま、文献によると表玄関や表式台の完成は安永3年(1774)5月に、天明7年(1787)に御広式や御居間が増築されるまで大火から28年もかかっています。...
View Article金沢城二の丸御殿⑥文化の大火と再建その㈢
【金沢城二の丸御殿】文化5年(1808)1月15日の大火後の二の丸御殿は、家臣や町人・百姓等の献納もあり、2年という短い期間で再建事業を成し遂げています。しかし、宝暦11年(1761)の宝暦の大火後の再建は、文化2年(1803)11月1日土橋門造営完成まで43年間も掛かり、しかも、表向きの竹の間(大広間)など表御殿が先送りされたまま、文化5年(1808)正月、出火します。...
View Article天下の書府➁5代藩主綱紀公が万金を投じた書物蒐集
【加賀藩・金澤】加賀藩が「天下の書府」と云われるようになったのは!?“書府”を辞書で調べると「書物を納めておく蔵」とあり、今の図書館ということになりますが、確か、昔、見た絵図か書籍の中のイラストで尾山神社のところに幾つかの書庫が描かれていた記憶が浮かんできます。書物の蒐集を始めたのは5代藩主前田綱紀公で、襲封後、数人の書物奉行を置き蒐集作業を行っています。 (金沢城石川門)...
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