【加賀藩・金澤】
綱紀公の蒐集された書物の数は幾十万冊にのぼり、その数はよく分からないくらい膨大な量で、その後、数回の火災で焼失し、幕府への献上、吉事、慶事の贈与として用いられ、また、廃藩置県に際し相当量が散逸したと云われていますが、それでも尊経閣に数十万冊の古書・稀書・珍書が収蔵されています。珍書では幕府の紅葉山文庫に優とも劣らぬものもあり、量的に最も多い漢籍は8庫に収蔵されたが、中国の四庫全書にも入らない明・清・朝鮮の書籍が多数保有しているといいます。
図書蒐集事業に伴い綱紀公は、書写した書物や古文書のうち破損したものは藩の費用で補修し散逸の危機に有るものは整理し、書庫を与えています。京都五山、東寺、伏見宮家、西三条家、高辻家、木下家などの蔵書を補修し、ときには古櫃(こき・古い木箱)を造り、書庫を建造しています。
(東寺)
(京都の東寺が所蔵する多数の文書、記録、綸旨、院宣、官符、書翰などの書写が終わると、保存のため書役に命じ整理・分類をさせるととともに藩の資金で桐材に赤漆を塗り、麻紐を付けた大小の書櫃を100個造り、この中へ文書を収納して東寺に贈りました。これが「東寺百合文書(とうじひゃくごうもんじょ)です。また、三条両家の蔵書を借覧したときも、返却に際し、一切の断簡・文書・記録について校訂を加えて整斉の上、整理分類し、破損した数千巻の古記録を補修し、さらに藩内の製紙職人に命じて装幀のための紙を漉かせるなど至れる尽くせりの手を尽くしています。」
(櫃のイメージ写真)
さらに定評のある学問振興策は、綱紀公自身が学問好きで和漢の学問に通じ、武芸から書画・能楽から割烹にいたるまで幅広く修めたこともあり、藩内に学問や文芸を奨励し、書庫には豊富な書籍が収蔵されいると同時に、木下順庵、室鳩巣、稲生若水ら100名もの諸学諸芸の達人を招聘して学び、綱紀公自らが編纂した著作「桑華字苑」「桑華書志」など、122部もの著書を残しています。
(尊経閣文庫)
(「桑華字苑」は日本と中国などの文字や書物に関する雑記帳で、座右に置いて常に気づいたままに諸々のことを絵や拓本入りで記入したもので、主に文字や語彙について書かれた百科辞典的なもの、また「桑華書志」は書物について求遺書・家蔵書・見聞書を三冊に書きまとめられたもので、内容は、日本(桑)だけではなく中国(華)をはじめ、外国に及ぶ広範囲で種々の事柄にわたって書かれており、綱紀公の旺盛な好奇心と何でも記録し検証しようとする研究熱心な姿がうかがえます。他に綱紀公は、美術工芸を奨励するなどの文化事業に力を注いています。)
拙ブロブ
一寸知りたくなった前田綱紀公
https://ameblo.jp/kanazawa-saihakken/entry-11589339732.html
前田綱紀公の82年間
https://ameblo.jp/kanazawa-saihakken/entry-11591152510.html
前田綱紀公
4代藩主前田光高公(1615〜45)の長男として寛永20年(1642)に生まれ、享保9年(1724)
に没しています。82歳という長命であり、父の急逝により、わずか3歳で家督を継ぎ、実に79年という長きにわたって藩主の地位にありました。彼は3代藩主前田利常公(1593~1658)に養育され、正室が会津藩主保科正之の4女摩須子であるという関係から保科正之が後見人となっています。前田綱紀公は茶人であった祖父前田利常公と違い、書画骨董の収集よりも学術的・資料的価値のある図書収集に目を向けました。幼年より書を読み、四書五経を暗記するほどで「毎夜深更迄書籍ヲ御覧候」と云われる読書家だったそうです。同時に、学者としても「桑華字苑」「桑華書志」「四書私考艸書稿」など実に122部もの著作を残し、室鳩巣に「綱紀ほど博学な大名はいない」とまで云わせています。因みに叔父が「大日本史」の編纂で有名な水戸の徳川光圀(黄門)です。
(金澤城石川門)
ただ、朱子学を重視する岳父保科正之は他の学問を弾圧し、「他の学問にうつつをぬかすな」と云っていたそうですが、綱紀公には耳の入っていなかったそうです!?
(母は、水戸光圀の姉で、水戸藩主徳川頼房の娘を将軍家光の養女として3代藩主光高公に嫁した大姫。綱紀公の妻は、会津藩の保科正之の4女摩須姫です。保科正之は2代将軍徳川秀忠が浮気で出来た隠し子だったと言われていますが、稀な名君で江戸時代の初期、幕府の基礎を完璧にした人物。綱紀公は、父光高公、そして祖父利常公の死後は岳父である保科正之の後ろ盾により藩政改革を推し進めていくことになります。)
綱紀公は、古書を蒐集や多くの書籍を編纂、執筆し、藩内で学問の普及・促進と素晴らしい業績がありますが、優秀な人材を集め工芸の標本「百工比照」もまとめています。これは別項に紹介します。
つづく
参考文献:「加賀百万石」田中喜男著 株式会社教育社 1980年4月発行・「三壺聞書」山田四郎右衛門著(校訂者日置謙)石川県図書館協会 昭和6年11月発行・オンライン百科事典(Wikipedia:ウィキペディア)など