伝説・伝承
【金沢・江戸】
加賀藩の秘薬と本草綱目 中国では今から3000年前神農氏が現れ、1日に百草をなめて効果を体験し、下痢を繰り返し、薬をつくったと伝えられています。その後、紀元500年頃、陶弘景は神農の薬をあつめて「神農本草経集注」を著しました。その後、中国の李時珍は1590年(和暦天正18年)「本草綱目」52巻を完成させました。この本草綱目は日本の薬学の原典となったのです。加賀藩ではこの本草綱目の研究はされていましたが、特に5代綱紀公は歴代の藩主のなかでもとりわけ熱心で、前出の本草学者稲生若水を加賀藩に招き研究させるとともに、本草に関する書物を書かせました。一方、全国に薬の処方を探索させるとともに、蒐集・調査・研究、そして、時には薬草の栽培も行い、治療薬の試験製造を行ったりしました。 |
加賀藩5代藩主前田綱紀公は、政治家であり経済人でありながら、生まれてこのかた目指したものは、“起死回生の薬”と“不老長生の薬”を探り求めていたのではないかと思わせます!?藩政期、数ある大名の中で文事にすぐれた才能をみせた人は少なくないが科学を愛好し科学振興を策し、自ら科学研究を行った大名は綱紀公をおいて他にいない!!
いまから約300年前、殿中において綱紀公は化学実験をやった事実は、晩年、気つけ薬として重宝した“樟脳製造研究”をやった記録が残っている事からも明らかです。綱紀公の時代17世紀の後半から18世紀初め世界では、科学の“夜明け前”でイギリスの物理学者ニュートン・化学者ボイルらの活躍した時代で、彼らは懐疑者が群れになって、過去の迷信を打破し、実験で真理を解明しようとしていました。
(ボイルは有名な「懐疑的化学者」という一書を出し、ニュートンは綱紀公と同い年で、日本がもし厳しい鎖国でなければ科学的精神を持つ綱紀公とは相共鳴したのではと思われると、「加賀藩の医薬」の著者三浦孝次氏はお書きになっています。
「懐疑的化学者」とは:ロバート・ボイルにより1661年にロンドンで出版された本。物質は運動中の原子および集団からなり、すべての現象が運動中の粒子の衝突の結果であるというボイルの仮説を提示しました。これらの理由によりボイルは、現代化学の創始者と称されます。
「加賀藩の医薬」 ―薬学の先覚者 前田松雲公― |
紫雪の名は、大昔の奈良正倉院に残る種々薬帳に載っているが、その物も資料も残っていないそうです。時代は下り寛文10年(1670)金沢尾張町福久屋等で綱紀公の命で、「紫雪・烏犀圓・耆婆万病圓」の調合を伝授したのが始まりで、正徳年間(1711~1715)には京都をはじめ日本全国に加賀の「紫雪」の看板が出ていたと云われています。
(寛文年間(1661~1673)、金沢の薬舗では黄連、黄柏、熊胆などを取り扱うかたわら諸国の売薬も取り扱い、それぞれ金沢の薬舗では自慢の自家製剤を持ち競い合って商いをしていたといわれています。当時、藩内には200軒位の薬舗があり1軒あたり3~4種類の薬を作っていたと云う、その他、諸国の売薬、薬種を合わせると一軒あたり扱う薬の数は2000~3000種の薬が出回っていたと云う。)
加賀烏犀圓の処方(3つの動物性薬品)
三浦孝次著「加賀藩の医薬」によると、烏犀圓は、70数種の薬草と3つの動物性薬品、第1,晩蚕蛾-蛾雄の蛾体-(バンサンガ)第2, 桑標蛸-カマキリの巣-(ソウヒョウショウ)第3,烏の丸焼きが配合されています。
(バンサンガは蚕の繭を破って出た直後のまだ交尾を終わらない蛾雄の蛾体を80度くらいに加熱した鉄板に転がし殺し全身を乾燥、粉末にしたもので、雌雄の蛾は繭の中で成熟すると一滴の体液を繭の内側にふきつけ、その液の強い消化力が堅固な繭の殻は直ちに溶解し穴が出来、蛾はそこから飛び出し雄雌は交尾する。雄は直後落命するが交尾前の蛾では全身の精がここに極まっているのであってバンサンガはこの成分の充実した時期に処理することになる。この蛾の調製法は綱紀公の時代より一点一画も変更することなく伝承されているはずで、この成分はホルモンです。)
綱紀公は古い時代にこれを示唆しています。以下来日中のノーベル賞受賞者ドイツの生化学者ブ一テナント教授は昭和の初め頃、蛾の雌の末節から雄雌誘引成分を分離しています。また昭和の中頃、熊本大学牧野博士はポンビキシンなる誘引成分の精製分離し一つの精油を得ています。本化合物の10億分の1gの微量を紙のつけておけば雄雌が10㎝の距離に近づくと羽をふり、尾をふるわせ、激しい興奮状態に陥り一瞬こん跡にむかって飛び掛かることを実証します。博士は6万匹の雌の蛾から100mgの成分を取り出し、近代化学が綱紀公の示したナゾの一つが解明されています。晩蚕蛾(バンサンガ)の雄の強精成分について、昭和の中頃まで手を付いていなかったのです。
(アドルフ・フードリヒ・ヨハン・ブーテナント(1903年3月24日~1995年1月18日):ドイツ帝国ブレーマーハーフェン出身の生化学者で性ホルモン研究の功績により1939年にノーベル化学賞を受賞、またそれらの研究成果により避妊薬開発に道を開きました。)
第2の桑標蛸(ソウヒョウショウ)は桑の木の枝に下っているカマキリの巣で、この薬物については古い中国の本草綱目に陰萎・遺精・月経閉止・夜尿書の妙薬として記載されています。この成分が人体に果たしてどんな作用を呈するかといえば、世間ではカマキリのオスは交尾後落命すると自分のムクロをメスに食わせ、メスはその勢いで産卵し巣を作るといわれていますが、6月ともなれば親指大の巣の中から何万ともしれないカマキリの幼虫が一斉にフカするのです。桑標蛸(ソウヒョウショウ)の中には底知れぬ神秘が宿っています。
第3は、烏の黒焼であるが、寒中のカラスを捕獲して土製のツボの中に入れ目張りを施し、外からほどよい炭火で焼き、カラスの全身を炭化させ、獣炭ができ上がり、カラスの黒焼きにはそれに未知の蛋白分解成分が一緒にくっついています。
(大正のはじめごろまではその作業が犀川や浅野川の下の河原で夕方ごろからはじめられた。ツボから漏れて出る臭気のためか、いつとはなくなり、いまでは鈴見山の奥の人のめつたに来ない雪山でやっているということである。カラスの炭は吸着力の強い一種の活性炭で、これを内服すると腸内の異状発酵がとまり腸内毒素もなくなり、早老の原因を除くのである。)
メチニコフ氏の学説からも割り出せる。烏犀圓の中にはこのような奇想天外な霊薬が配合されているはずで、綱紀公は三味薬以外のも中屋は「混元丹」亀田は「兔血丸」など多くの素晴らしい秘法を残しているが近代科学のメスを加えるならば驚くべき発見の糸口をつかむことができます。
(イリヤ・イリイチ・メチニコフ (Ilya Ilyich Mechnikov, Илья Ильич Мечников、1845年5月15日, ハリコフ - 1916年7月15日, パリ)はロシアの微生物学者および動物学者である。白血球の食作用を提唱し、免疫系における先駆的な研究を行ったことで有名である。)
昔の記録では、硫黄と水銀から硫化水銀をつくり、15味の動物性生薬と40味の植物性生薬と辰砂を加えていたが、今の中屋の烏犀圓は22味の製品で、硫化水銀はいっていないとされています。 (内藤くすり記念博物館「百年前のくすり」より) |
(つづく)
参考文献:「文化點描(加賀藩の医薬)」 三浦孝次著 編集者石川郷土史学会 発行者石川県図書館協会 昭和30年7月発行・「松雲公小伝」 藤岡作太郎著 発行者高木亥三郎 明治42年9月発行・「前田綱紀」若林喜三郎著 発行所吉川弘文館 昭和36年5月発行ほか