金澤・城南野町筋⑧野町のお寺さん(その二)
【旧野町界隈】金沢では、元和2年(1616)頃から3代藩主前田利常公は金沢城の防備や寺社の管理・宗旨人別(寺請制度)を行い、さらに一向宗対策として、城下に散在していた寺社を「寺町寺院群」、「小立野寺院群」、「卯辰山寺院群」の3か所に移転させ配置します。その3つの“寺のまち”のうち今回は「寺町寺院群」の中でも野町筋にある8寺院の最終回です。 (野町の大通りより、光専寺と堅正寺)...
View Article嘘・本当!?消費税④殆どの人が知らない消費税の計算式!!
【日本政府】中国で生まれた漢字が複雑で難しいのは、庶民が読めないようにするため創られたものだと聞いた事が有りますが、消費税は計算方式だけでなく道理や仕組みも1度や2度読んでも何度聞いても理解するどころではありません。私の頭が悪いため?それも有るかもしれませんが、論語にある「由らしむべし知らしむべからず」。...
View Article嘘・本当!?消費税⑤何!!輸出業者は全く消費税を払っていない??
【日本政府】前回までのおさらい消費税は、商品、製品の販売やサービスの提供などの取引に対して、広く公平に課税されますが、生産流通などの各取引段階で二重三重に税がかかることのないよう税が累積しない仕組みが採られています。...
View Article金澤の御能④早世の光高公と入国祝賀能
【江戸・金沢】寛永16年(1639)11月、4代目加賀藩主になった前田光高公は満23歳で初めてお国入りを果たします。当時は、入国祝賀の儀式能はまだ藩の公式記録なく「三壺聞書」に寛永17年(1640)元旦に、家中一同の年賀の礼を光高公が受けて、5日に御能が催されたとか書かれています。この御能が「お国入能」の最初であろうと伝えられています。...
View Article金澤の御能⑨12代斉広公
【金沢・江戸】12代斉広公は、享和2年(1802)3月、20歳で家督を相続しますが、就任当初は「当時、世間一統が難渋している時節ゆえ、年寄が、各自の宅で能囃子など慰み事をしていては、一統の気うけもよろしくないであろうと、かねて心得申しつかわしおいた。以下の家老たちも、その様に心得たらよかろう」と当初は婉曲に能囃子の禁止令と申し渡しています。...
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