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名君綱紀公は、理系も超一流③執念!!樟脳の国産化

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【金沢・江戸】

昔、“樟脳”カンフル剤とか蘇生薬と云われ、“起死回生の強心薬”として、その薬効が医療現場で使われていましたが、今は、その成分が血行促進鎮痛作用、消炎作用、鎮痒作用に有効で多くの薬品に使われています。また、清涼感もあり、かゆみ止めリップクリーム、湿布薬などに使われ肩こりや筋肉疲労、虫刺されなどにも使われていています。原料は楠木(クスノキ)で、どうも綱紀公“不老不死”霊薬を求めているうち、樟脳に行きついたようです。

 

(現在金沢にあるクスノキ)

 

クスノキ枝葉を蒸留して得られる無色透明の固体で、防虫剤や医薬品等に使用されるカンフルから、英語でカンファー・ツリーやカンファーウッド、カンファー・ローレルと呼ばれています。木の香りが強く、学名では、属名がシナモン(肉桂)を意味し、種小名は樟脳を意味する camphora になっています。中国名は、(しょう)または樟樹といい、春の若葉のころに、全体的に赤っぽく見えるクスのことを特にアカグスと呼び、青っぽく見える方をアオグスと呼ぶ場合があるそうです。)

 

樟脳と歴史(綱紀公の先見の明)

樟脳は、英語ではカンファー、オランダ語でカンフル。かつて強心剤として病人の劇的な復活効果が期待され、血行促進作用や鎮痛作用、消炎作用、鎮痒作用など多くの薬効に使われました。また。防虫・防腐剤としても重要で、エジプトやギリシャでは神聖な霊薬として使われ、ヨーロッパで長く珍重され続けました。20世紀に入ると、合成樹脂であるセルロイドが発明され、さらに無煙火薬、写真や映画フィルムの材料としても樟脳は引っ張りだこになります。日本でも安土桃山時代から江戸時代初期に生産が始めたられ、土佐で盛んに生産され密輸出されます。それがヨーロッパを独占し、莫大な資金を生みます。後に三菱を創設する岩崎弥太郎は、樟脳生産で莫大な利益を生み出し、土佐藩はそれで軍艦や武器を購入します。それが倒幕につながったのであります。さらに日清戦争後に領有した台湾はクスノキが繁茂しており、大々的な樟脳生産が行われ、一時は世界の樟脳生産量の8割を日本と台湾で占めるまでになります。これを専売にすることで台湾経営の主な財源となったうえ、日本政府も潤しました。

(明治維新をなし遂げ、一国の財政を潤した霊薬樟脳の香りが復活の兆し!森林ジャーナリスト田中淳夫より)

 

(樟脳)

 

当時、樟脳は気つけ薬として貴重な薬物で、日本では手に入れがたく、シナ、南蛮わたりのものが時々輸入されていました。もちろん庶民の口へは入るものではなく、綱紀公は晩年、樟脳製造研究をやった記録が残っています。寺町伏見寺にあったクスノキを切りセイロで蒸し揮発性成分を採取する実験を行っています。

 

(伏見寺)

 

伏見寺:金沢寺町の“芋掘り藤五郎”ゆかりの寺。ご本尊、阿弥陀如来像は平安初期の金銅仏は、国の重要文化財。護摩堂にある木彫の不動明王坐像は、弘仁期(810~824)の作と伝えられています。)

 

現在で云う水蒸気蒸留法ですが、当時はガラスの冷却器もないから、せいぜいがセイロで蒸し、その蒸気を竹の筒に誘導して冷却して樟脳を結晶させるくらいが関の山で、どうもこの綱紀公の実験はうまくいかなかったらしい。

 

(現在の日向樟脳)

 

家臣の林伯立日向の国にやって樟脳調査をやらせています。その時の近習大野木舎人(とねり)の藩医内田覚中に与えて手紙の一説に、「日向州には樟木(クスノキ)これあり樟脳も多出申由且又金沢伏見寺に有之樟木(クスノキ)と申伝へ今有之候。色々と樟脳御とらせ被遊得共埓明不申候於彼地に樟脳取様とくと委細に承り枝葉才覚仕次第早速急便にて差上可申之旨奉畏入候」とあります。

 

いまから約300年も前に殿中において綱紀公化学実験をやった有様が目に見えるようです。実験の結果は「らちあき申さず」とはもっともらしい表現です。ともあれその科学に対する情熱の逞しさには驚くほかないとあり、また、綱紀公の晩年の樟脳研究を手記で見ると、すでに老齢で書痙(手ふるい)になっていることは明らかで有ったと、三浦孝次氏が書かれています。

 

拙ブロブ

名君綱紀公は、理系も超一流➀幼少のころから動植物を愛好した云う

https://ameblo.jp/kanazawa-saihakken/entry-12716472260.html

名君綱紀公は、理系も超一流②加賀藩の秘薬

https://ameblo.jp/kanazawa-saihakken/entry-12717030510.html

 

(クスノキの葉)

 

加賀藩の秘薬研究綱紀公の時代に絢爛たる開花をみせています。そして、その素朴な秘薬探求近代薬学の最もあこがれてやまぬテーマの宝庫となったと思われます。最近は微量成分分析法が発達し、薬理学が高度に進歩し、初め綱紀公のアイデアが実験に移される時代になり、約300年間、綱紀公も草葉の陰から応援してくれていたはず・・・・!?

 

(野田山の綱紀公の墓所)

 

そして、享保9年(1724)5月9日江戸本郷邸で幾多の薬の夢を残して綱紀公は82年の生涯を閉じました。6月10日棺は初夏新緑の武蔵野を静かに金沢さして帰ったのであり、幽魂は金沢城南野田山に静もっています。と筆者は「加賀の医薬」を締め括っています。

 

(この章はおわり)

 

お詫び:「加賀藩の医薬」は原文のままを目指しましたが、失礼ながら時代や文体など多少加筆させて戴きました。)

 

参考文献:「文化點描(加賀藩の医薬)」 三浦孝次著 編集者石川郷土史学会 発行者石川県図書館協会 昭和30年7月発行・「松雲公小伝」 藤岡作太郎著 発行者高木亥三郎 明治42年9月発行・「前田綱紀」若林喜三郎著 発行所吉川弘文館 昭和36年5月発行ほか


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