【愛知県豊田市足助町】
便利になりました。東海北陸自動車道のお陰で、金沢から随分遠い豊田市足助町の“香嵐渓”へ10年に1度という紅葉を見にいきました。日帰りで、しかもライトアップまで見物して午後9時台には金沢に帰っていました。こんなことが出来るとは、ついこの間まで思ってもみませんでした。
(香嵐渓の待月橋)
東海北陸自動車道の“飛騨トンネル”は延長10,710m の長大トンネルで、難工事の末、10数年の歳月をかけ開通し、私にとっても中京方面が急に近くなり、歴史を尋ねて何度か出掛けましたが、聞いたことも無かった“香嵐渓”へ、誘われて不承不承付いて行き、思いがけない素敵な景色に出会いました。
(雪と霧、バスの窓から飛騨の山)
(東海北陸自動車道の開通は、金沢も白川郷や五箇山と短時間で結ばれ、広域観光が活発になり、冬場には、白川郷、五箇山の合掌造りに積もる雪と兼六園の雪吊りを見に来る関西や九州のお客様が多くなったとバスガイドさんがおっしゃっていました。)
(信州の味噌蔵)
行きは、東海北陸自動車道から東海環状自動車道、中央自動車道で飯田ICから有名の信州味噌の蔵の見学や同じ飯田で水引の博物館のレストランで昼食をとり、足助町の“香嵐渓”と着いたのが午後3時でした。
(香嵐渓の三色紅葉)
連休の初日で、出だし天候が悪かったせいか、バスガイドさんの話では、何時もこの時期“香嵐渓“に近くなると車の渋滞でなかなか現地の到着しないのだそうですが、今回は思ったよりスムーズに進み、着いた頃から天候も回復し、1時間以上も素敵な紅葉の下を散策し、日が落ちると幻想的なライトアップを楽しんできました。
(香嵐渓の紅葉)
知らなかったですが”香嵐渓“は東海地区随一の紅葉の名所で、創建が応永34年(1427)の曹洞宗の古刹飯盛山香積寺の11世三栄和尚が寛永11年(1634)に植えたのが始まりといわれているそうです。三栄和尚は、巴川沿いの参道から香積寺にかけて。楓、杉などを、般若心経を1巻詠むごとに、1本1本植えたといいます。
(飯盛山香積寺は、その昔、足助氏の本拠飯森城だといわれています。足助氏は清和源氏満政系統で、平安時代末期に浦野重遠の孫・重長が三河国足助の地に住んで足助氏を称したことに始まったといわれています。)
(香積寺の境内)
現在の“もみじ”は、主に大正から 昭和の始めに住民の手により植えられ、巴川沿いに約4000本の紅葉が色鮮やかに埋め尽くされていて、1日に全国からの数万人が見物に来ることもあるといいます。
(紅葉のトンネル)
(紅葉のトンネルにて)
足助町には、戦国時代の山城や信玄初め戦国群雄の軍兵が行き来し、三河湾から信州へ塩を運んだという「塩の道」と呼ばれた街道は今も保存が図られ、今回は時間も無くパスしましたが、金沢の主計町や東山地区の2箇所と同じ「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されているそうです。
(香嵐渓にて)
バスの旅は、乗り換えなしで、目的地に一直線。そんなのがよくなってしまって、何処へ行こうか、地図や時間表を見ながら、思案に暮れる楽しみが無くなっただけ年なのでしょうが、バスにはバスの楽しみ方があります。それでも、あまり安いのは“やっぱ”気を付けましょう。
(手に届くところにリンゴが・・・)
今回のバスの旅は、お客様を退屈させない有能なガイドさんに、重たいリンゴのお土産まで付いていました。