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キリシタンと金沢①高山右近

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【小将町から市内あちこち】
先月、金沢で藩政初期前田家の客将として26年間(36歳~62歳)、金沢で過ごしたキリシタン大名高山右近の足跡を伝えるギャラリーが開設されました。牧師で観光ボランティアガイド「まいどさん」も務める奈良献児氏が、平成27年(2015)高山右近没後400年を前に、右近が金沢に来て初めに教会を設けた兼六園下の近く、小将町の町家を改修して開設なさいました。


市民が見つける金沢再発見
(ギャラリー・ジュスト)


ギャラリーは、高山右近の洗礼名ジュスト(正義の人)から「ギャラリー・ジュスト」と命名され、毎週火曜日から土曜日まで開館されています。展示は偉人高山右近の功績を広く発信するため、奈良牧師が集められた資料や写真が展示されています。


市民が見つける金沢再発見
(ギャラリー①)


天正15年(1587)豊臣秀吉公がキリシタン禁止令を下し、右近に棄教を迫りますが、右近は領地を捨て、追放を選び淡路島から小豆島に隠れ住みますが、翌年、秀吉公は、家康か利家のどちらかなら、仕えてもよいということから、右近は、利家公の招きにより加賀預かりとなり金沢に住むようになりました。


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(ギャラリー②)


慶長5年(1599)利家公の死後、利長公謀反の中傷を払拭するため、右近は、横山長知らと大坂の家康公に会いに出向きますが、右近は謝絶され、長知が弁明します。その間右近は、金沢城の修築と内惣構を築き上げます。


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(ギャラリー③)


右近は、築城家で茶人、能で知られる文化人ですが、むしろ戦術家であり武将として優れていて、あの徳川家康公をして「右近の率いる一千人の手兵は、他の将の一万人の手兵に勝る」と恐れられたと伝えられています。

市民が見つける金沢再発見

(6月16日の北国新聞の部分)


慶長19年(1614)62歳の右近は、徳川幕府の大禁教令の発布により、国外追放の命を受け加賀を去り、マニラに向け、長崎を出帆しました。


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(キリシタン灯篭)


浄土真宗の家の生れで、今もあまり分っていないのに仏教徒のつもりの私ですが、以前に金沢がルーツの医者で小説家の加賀乙彦氏の「高山右近」を知り、金沢の高山右近に興味をもち、さらに木越邦子氏の「キリシタンの記憶」に至り、今回は、同じ観光ボランティアで牧師の奈良献児氏に巡り逢い、何か縁も感じ、右近の金沢所縁の地を巡ってみたくなりました。


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(ギャラリー・ジュスト)


(つづく)


参考文献:「高山右近」加賀乙彦著、講談社 1999年「キリシタンの記憶」木越邦子著、桂書房2006年


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