【常盤橋→中の橋】
11月の始め頃、浅野川の大橋より上流に向かい川の中に仮設道路が出来、ダンプや重機も入り作業をしているのを見ました。
(浅野川大橋より)
先日、仮設道路に沿い上流を行くと常盤橋の下流で、右岸から川原に入る仮設の道路がありました。大橋までの浚渫工事や護床工事のコンクリートのブロックを搬入するために造られたもので、工事は来年の1月末まで続くそうです。
(天神橋へ仮設道路)
4年前の平成20年(2008)7月28日の朝、200年に一度という浅野川の大洪水で並木町と旧御歩町に面した“角落とし”の閉鎖が遅れたことから、治水の対応が問われ、補償など協議でよく報道されていましたが、今後の大雨災害に備えての改修工事だと聞きました。
(角落とし:堤防の切り欠き部にある鋼鉄の扉)
(主計町の護床工事)
浅野川では、昭和27年(1952)と昭和28年(1953)にも大洪水があり、これを契機に半世紀にもおよぶ河川整備が行なわれ、中流域の梅の橋辺りは平成20年(2008)7月の浅野川水害の前には治水工事は、すでに終っていました。
その工事というのは、洪水時の水面地上1mの位置に、堤防を引き上げて増設をしたのをはじめに、河原に消防車がおりて迅速に給水が出来て、災害時の避難場所として、河原に降りられるように、そして、住民が川と親しむ親水空間の入口としたの“角落とし”等でした。
(仮設道路)
むしろ、中流地域の治水は、洪水に備えて造られた上流の「田上の浅野川放水路」で、昭和28年に起きた大洪水を上回ることがあっても、浅野川の流水を犀川へ流すことができるもので、これで浅野川は安全だと考えられていました。しかし平成20年の洪水では思ったようには機能はしなかったと聞きます。
(浚渫と水抜き)
今回の護床工事は、平成21年末から22年始めにかけて行なわれた浅野川河川改修工事から2年ぶりの工事で、川の流量を増やすための川底の掘削や護床の工事で、数10億円の大工事の一部なのでしょうが、川底の高いこの川では、江戸時代から川底を掘る“江ざらえ“を行っていたようで、極めて有効な工事のように思われます。
(註:昔から、浅野川は、上流から街中まで、近いため川浚えを怠ると、すぐに町に水が着くことを加賀藩は心得ていて、失業対策で“江ざれえ”を行ったという。)
(大橋下の浚渫工事)
もう一つ大切なものに治山があります。あの大洪水の原因に、大雨で湯涌の奥の谷では短時間に、ものすごい勢いで倒木や石、土砂が落下しています。途中で一部が止まり、大事に至らなかったと聞きますが、もしもそのまま全てが落下すれば、今のように、間伐もなく、根の浅い杉が密集する荒れ放題の山林が多いこの地区では、こんなものでは済まなかったという学者もいます。
(湯涌の山々)
戦後しばらくまで、この地区は炭焼きの村でした。人手もあり、山林は手を掛け間伐もされ、木々は今とは違い、しっかり根付いていたといいます。