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加賀藩の「御算用場跡」

【金沢城外・黒門前緑地】
平成22年(2010)、磯田道史原作のベストセラー「武士の家計簿『加賀藩御算用者』の幕末維新」が映画化され、堺雅人、仲間由紀恵主演で、大ヒットを飛ばしたことは、金沢の人には記憶に新しいのですが、その舞台であった御算用場が、現在の黒門前緑地といわれる小公園のところだったことは、あまり知られていないようです。

(映画では、分かりやすさからか、主人公が、金沢城の橋爪門から登城していました。)

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(黒門前緑地・御算用場跡)


加賀藩では、会計を統括する役所を御算用場といいました。そこの長を御算用場奉行といい、加賀藩独特の役職であり、郡奉行、改作奉行、御預地方御用、定見地奉行など、御算用場奉行管下諸種の役所が併設されていました。


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(御算用場跡・延宝金沢図より)


映画「武士の家計簿」でも紹介されたように、役所には有能な算用者と呼ばれる実務を担当する役人が約150人。他に、米主体の江戸時代にあって、農村を取り仕切る役所の頂点として、藩内各郡の扶持人十村が交代で半月詰番があり、その代理として一郡一人づつ「番代」が常駐しています。

(御算用場奉行の定員は3人で、その内1人が“人持組“から選ばれ、他は馬廻組頭から2人任されるのが通例だったようです。)


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(藩政期の御算用場)


御算用場の施設は本棟の他に土蔵3棟。建物の規模は350坪ぐらいだといわれ、敷地は、現在の黒門前緑地、尾崎神社の他、何軒かの民家がある所ですが、中世には、武佐の広済寺が有ったところで、藩政初期には、帰国した宇喜多秀家の室”豪姫”の居宅だったと伝えられています。


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(尾崎神社)

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(黒門前緑地)


御算用場は、藩政当初は、現在のしいのき迎賓館(旧県庁)のところにあったといわれ、万治2年(1659)頃に、現在の尾山神社(金沢城金谷出丸の金谷門外)のところへ、寛文12年(1672)に、現在の黒門前緑地(金沢城西丁口門前)に移り、以後明治まで続きます。


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(黒門前緑地門内・工事中の塀)


明治2年(1869)御算用場は廃止され、その地は、尾崎神社と現在の黒門前緑地のところは西町軍艦所、尾山病院、検事正官舎と移り変わりました。


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(元検事正官舎)


(加賀藩の十村制度は、3代利常公が実施した農政改革”改作法“から発生した制度で、寛永年間に加賀藩では、すでに出来上がっていた十村肝煎―村肝煎の体制を利用し、慶長9年(1609)、侍代官を廃止し、十村を代官に任じました。そして一部の者に扶持を与え、鑓(やり)・馬の使用あるいは苗字・帯刀の使用を許します。十村ほど(10とは限らない)を管理する大庄屋兼代官のことです。これにより、御算用場-郡奉行―十村―村肝煎に一元化し、農村支配を強化しました。詳しくは何れ・・・。)


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