思い立ったがカメラ入門
【金沢・長田町2丁目】 昔は撮るより撮られるもだと思っていました。たまに撮る時も会社のものか妻のものを借りて、絞りを合すだけにしてもらい撮っていました。最近では、押すだけでキレイに撮れるスマホのカメラで充分だと思っていましたが、プリンターが壊れて、テレビの通信販売で、得した気分からカメラ付きのプリンターに飛び付きました。 (クリツー集合、少し早く未だ半分しか集まっていません)...
View Article高峰譲吉博士③ルーツ
【高岡→金沢】 高峰家は、足利時代、現在大阪府和泉市の和泉の郡宰(郡奉行)の高峰刑部を初代とし、2代目仁左衛門、3代目慶庵は医師で京、江戸で医術を学び福井の松平家の侍医になります。国替えで越後高田へ移り、4代仙庵、5代元稜、6代幸庵、7代幸伯と代々医業の家だったそうです。 (高岡の譲吉博士の生誕の地)...
View Article高峰譲吉博士④金沢の所縁の地を歩く
【武蔵ヶ辻→寺町5丁目】 高峰譲吉博士は1歳の時、父の壮猶館への赴任に伴い、金沢に移り住み新竪町、南町を経て石屋小路(現エムザ裏)に転じ、長崎遊学の10歳まで過ごしました。10歳といえば今の小学校4年生。以来、金沢に定住することなかったといわれていますが、父精一や兄弟も金沢に住んでいて、記録では、大正2年には国泰寺へ墓参に訪れています。 (現エムザ裏) ≪旧高峰邸旧梅本町≫...
View ArticlePR: 情報セキュリティ対策は大丈夫?-政府ネットTV
PCやスマホ等をお使いの方!さまざまな危険から身を守るための対策の基本をご紹介! Ads by Trend Match
View Article加賀藩の「御算用場跡」
【金沢城外・黒門前緑地】 平成22年(2010)、磯田道史原作のベストセラー「武士の家計簿『加賀藩御算用者』の幕末維新」が映画化され、堺雅人、仲間由紀恵主演で、大ヒットを飛ばしたことは、金沢の人には記憶に新しいのですが、その舞台であった御算用場が、現在の黒門前緑地といわれる小公園のところだったことは、あまり知られていないようです。...
View Article算用者猪山家≪金沢≫武士の家計簿より
【金沢市内】 「武士の家計簿」は、磯田道史氏が発掘した金沢藩士猪山家文書の入払帳のことで、猪山信之(祖父)、直之(父)、成之(子)の3代にわたる天保13年(1842)から明治12年(1879)までの約37年間、日常の収支から冠婚葬祭の費用までを詳細に記録したものです。 (猪山家の極楽寺) (猪山家の氏神様神明宮)...
View Article参勤交代の上街道回りは十間町から
【金沢・十間町】 十間町という町名は、家が10軒あったとか、町の間数が10間(18m)あつたからなどと伝えられていますが、金沢古蹟志によると18世紀初めには、町筋は3町2間5尺(約280m)あったといいます。 (十間町から下堤町方面)...
View Article金沢城のお膝元・・・今町・中町
【金沢・今町・中町】 今町は、中世の石浦七ヶ村の一、今市村だったとか・・・。この辺りには一向一揆の時代、凹市(久保市)や今市という市場が立ったと伝えられています。中町辺りは、藩政初期に大工の拝領地という記録もあります。町割りは東西5本の道路に対し、南北の道が直角に交差し、甲州流兵法といわれ攻めづらいように道を配した城下町金沢としては、珍しく整然とした町割りになっています。 (現在の旧中町)...
View Article明治維新の金沢①
【金沢市内】 藩政中期から後期にかけて、日本の人口は3000万人~3200万人だといわれていますが、その内武士階級は約6%だといわれています。金沢の町は、その武士階級が約50%と国内の他の城下町と比べてみても極めて特異な人口構成の町でした。今回から明治維新を迎え、武士階級が約半分という町だからこその混乱ぶりを、昔、書かれたものから抜書きしながら検証します。...
View Article明治維新と金沢②武士から士族へ
【金沢市】 廃藩置県により、明治4年(1871)7月14日金沢藩が終わり、8月12日、15代藩主前田慶寧公は東京へ去ります。翌月新政府より薩摩出身の内田政風が金沢県大参事として県政に当り、県庁も金沢ではなく、金沢県の県土の真ん中という建前から能美郡と石川郡の郡境手取川河口の本吉に、能美の「美」と石川の「川」を充て美川と改名し県庁が設置されました。 (石川門①)...
View Articleほっと石川ボランティアガイド七尾研修
【ほっと石川・七尾市】 毎年、年3回開催される“ほっと石川観光ボランティアガイド研修会”は、今年度最後が七尾市で開催され参加しました。山の寺寺院群の16ヶ寺の内5ヶ寺を七尾のボランティアガイド“はろうななお”の案内でめぐりました。昨年春に訪れ、秋にも予定していて都合がつかすお預けになっていた曹洞宗の休嶽山長齢寺、天満山徳翁寺、瑞雲山龍門寺と浄土宗の無量山宝憧寺、正覚山西念寺です。 (七尾研修会)...
View Article幕末、維新の賃上げ運動
【金沢→七尾】 武士の明治維新の様子を「武士の家計簿」の記述で読み、当時の金沢町人が気になりました。家の中にあるスクラップを探していると、以前何回かブログで取り上げた「梅田日記」の著者梅田甚三久(能登屋甚三郎)の文書に上司の御扶持人十村に対して上申した賃上げ運動に関する資料がありました。 (今の浅野川・梅田三久は左岸の並木町に住んでいたそうです。)...
View Article卒展コレクション「金沢モダニズム再考」
【武蔵ヶ辻】 毎年、金沢アートグミギャラリーでは、金沢市内及び近郊のアート系の大学や専門学校の卒業制作展から、金沢アートグミ会員がセレクトした作品を集め「卒展セレクション」と銘打ち展覧会を開催しています。今年は3月21日(金)より、期間中に来場のお客様に作品人気投票を行ってもらい、その中から、金沢アートグミが最終的に選出した1名を今後、様々なサポートすることになります。...
View Article今年も彼岸の中日は聞善寺さん
【横安江町商店街→堀川揚場跡→瓢箪町】 彼岸の中日は、市内の方々と東別院に集合して、堀川界隈の散策と瓢箪町の聞善寺さんの押絵を拝観しました。後3週間で、兼六園の桜も満開というのに、その日は、とんでもなく寒くて、時々小雪が舞うという最悪の日でしたが、総勢約40名。私も鼻水を垂らしながら口も良く回らず、話は半分になりましたが街歩きのガイドをさせて戴きました。...
View Article金沢古地図めぐり(長町編)
【長町武家屋敷界隈→香林坊】 北陸新幹線の金沢開業1年前カウントダウンイベント「もてなし力向上フォーラム」が、3月22日と23日の土日に開催されました。会場は、金沢駅もてなしドーム地下イベント広場で、その一環で、公募で集まった市民と古地図で巡る散策会が行なわれ、23日、午前は「長町界隈」を午後は「東山界隈」をガイドとして参加しました。 (古地図)...
View Article