あかねや橋から香林坊橋まで《鞍月用水3》
【柿木畠→香林坊】 あかねや橋から住宅地の間を抜けて日本基督教団金沢教会の脇まで鞍月用水は開渠ですが、すぐ暗渠になり柿木畠の広見の地下を流れ下柿木畠橋で、惣構の堀と鞍月用水の合流地点が見える所から開渠になっています。今は跡形もありませんが、広見のところに架っていた橋の名を藩政期は「御厩橋」といわれていたそうです。...
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View Article香林坊橋から鞍月橋まで《鞍月用水④》
【香林坊→長土塀1丁目】 鞍月用水は、香林坊橋から今の中央小学校(旧加賀八家村井家)の東の境まで金沢城の外掘の西外惣構の堀と共用し、西外惣構の堀は枡形、小橋に向かって北進しますが、鞍月用水は小学校の校舎に添って左折し西へ流れます。やがて大野庄用水と合流したり離れたりして幾筋かに分かれ灌漑用水として旧戸板村、旧鞍月村、旧弓取村の田圃を潤わせています。 (香林坊橋)...
View Article金沢製糸場《鞍月用水⑤》
【長町1丁目】 藩政期、長町界わいの西外惣構は城側も外側も武家地で、城側には土居が盛られ、雑木竹藪などの緑地帯が設けられていていました。明治維新で惣構の緑地帯は宅地化され堀跡だけが残り、その堀沿いを長町川岸と名付けられました。明治の入り堀沿いにあった大身の村井家(中央小学校)や長家(三谷産業、玉川公園)も天皇に奉還され、後、この地が金沢の近代工業の発祥の地になります。...
View Article大正・昭和のはじめの蓮如忌
【向山(卯辰山)・金沢城】 もうすぐ4月25日。蓮如上人の命日といわれていますが、金沢では戦前まで市民がこぞって向山(卯辰山)に登り昼間からドンちゃん騒ぎのお花見をしたと伝え聞きます。4月25日といえば今もそうですが、昔も染井吉野はほとんど散り、遅咲きの八重桜が多少は咲いているという、花見の盛りはとうに過ぎていたはずですが・・・。 (今、兼六園から向山) (木倉屋さんの「どんだくれ人生)...
View Article金沢城の鉛瓦
【金沢城内】 北陸新幹線の開通を来年の春にひかえ、金沢城の復元工事は急ピッチで進められています。今、第二段階の復元整備工事中の橋爪門の二の門と玉泉丸は、新幹線が開通する来年春には一般公開される予定だそうです。思えば金沢大学が角間に移り、跡地の復元整備が始まってから18年、城内は随分様変わりしました。...
View Article金沢城の海鼠壁
【金沢城内】 前回、他の城にない金沢城の特徴「鉛瓦」と「隅柱」を書きましたが、もう一つ白漆喰との調和が美しい「海鼠壁」があります。「海鼠壁」は、江戸時代の初期に武家屋敷で始まったもので、土蔵などの壁塗りの様式の一つです。壁面に平瓦を張り、固定のため目地に漆喰を“かまぼこ型”に盛り付けて塗られたもので、その形が「なまこ」に似ているので「海鼠壁」と呼ぶようになったといわれています。...
View Article鞍月橋から三構橋まで《鞍月用水6》
【長土塀1丁目→方斎2丁目】 鞍月用水は、鞍月橋から玉川公園西側の前の九曜橋へ、次に架かる下九曜橋から斜め左に方向を変えて閑静な住宅街を流れていきます。下九曜橋袂の解説板には、地図入りでこの界隈の歴史が書かれ、用水沿いの遊歩道は「うるおいの道」と名付け、高厳寺まで小路ごとに架かる中川橋、宗叔橋、宗構橋、上三構橋、八千代橋、三構橋が続きます。 (鞍月橋)...
View Article危うし!?兼六園菊桜
【金沢・兼六園】 今が盛りの“兼六園菊桜”は、2代目です。菊桜は、花弁数が70~200枚程度であるのに比べて“兼六園菊桜”では250枚くらいあり、また、年とともに多くなる傾向をもつといいます。初代は国の天然記念物で、高さは9mばかり花弁は300枚くらいになったといいますが、昭和45年(1970)に枯死してしまいました。今の菊桜は初代から接ぎ木をして育てたもので、国の天然記念物は解除されています。...
View Article今も昔も、兼六園時雨亭辺り
【金沢・兼六園】 今の時雨亭は、平成12年(2000)に長谷池のそばに建てられたもので、吉徳公の時代の平面図にあるのは、8畳と10畳の座敷2間に、1畳台目の「御囲」と呼ばれる小さな茶室があり、控えの間4室と勝手の間で、およそ64坪(約210平方メートル)の建坪ですが、復元された今の時雨亭は、庭側の8畳と10畳、そして御囲(茶室)は当時の平面図にあるものです。 (今の時雨亭、手前の池は長谷池)...
View Article三構橋から木揚場まで≪鞍月用水⑦≫
【芳斉町→中橋町】 三構橋から歩道が左岸に変わり、勝尾橋まで右岸の家々の私設の橋が5橋、勝尾橋より昭和通りまで7橋もあり、どれが道路に繫がる橋かよく分かりませんが、資料によると公のものと思われる橋は”六枚二の橋””六枚一の橋“とあります。 (勝尾橋) (勝尾橋より下流の私橋)...
View Article古地図で巡る浅野川右岸
【常盤町→ひがし】 常盤町の石川県青少年総合研修センター(石川県青年会館)がスタートの“古地図で巡る浅野川右岸”をガイドすることになり現地に下見に行ってきました。石川県青少年総合研修センターは鈴見橋と常盤橋の間の浅野川に面した高台にありますが、安政年間に作成された古地図には何も描かれてないため慶応3年(1867)に開発された時に描かれた卯辰山開拓の絵図を参考に歩きました。 (安政年間の古地図)...
View Article兼六園の曲水と杜若(カキツバタ)
【兼六園内】 兼六園の曲水は、山崎山の麓の岩間から花見橋へ、板橋から大きく湾曲する水路はU字形をなし千歳橋へ流れ、旧竹沢御殿の書院前だったという雪見橋や雁行橋が架かる七福神山辺りを抜け、旭桜袂の橋、月見橋、そして虹橋の下を潜り霞ヶ池へ、その長さは574mだそうです。 (板橋辺り・在原業平が詠って場所三河国八橋を模した板橋)...
View Article古地図めぐり―金沢・高岡町界わい
【高岡町→南町→上堤町】 高岡町は、延宝年間、安政年間の金沢の古地図や残された記録等によれば、南北に延びる北国街道の石浦町、南町、上堤町、下堤町と東西は西外惣構の間に位置し、石浦町の小路“紙屋小路”から下堤町の小路“中川入口小路”までが町域であったようです。その全域が武家地で、藩政期は、町奉行支配の町地ではないため、長町や彦三、出羽と同じように通称として“高岡町”と呼ばれていたものと思われます。...
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