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危うし!?兼六園菊桜

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【金沢・兼六園】
今が盛りの“兼六園菊桜”は、2代目です。菊桜は、花弁数が70~200枚程度であるのに比べて“兼六園菊桜”では250枚くらいあり、また、年とともに多くなる傾向をもつといいます。初代は国の天然記念物で、高さは9mばかり花弁は300枚くらいになったといいますが、昭和45年(1970)に枯死してしまいました。今の菊桜は初代から接ぎ木をして育てたもので、国の天然記念物は解除されています。



(兼六園菊桜)


(兼六園菊桜(学名:ケンロクエンキクザクラ)は、バラ科サクラ属の落葉高木で、分類上はサトザクラの仲間です。世界最多の花弁数を誇る桜の王様で、初代は昭和3年(1928)に当時の東京帝国大学の三好博士により、世界に類を見ない希少種であると鑑定され、国の天然記念物になりました。)



(左は葉っぱが多い、右は京都の佐野藤右衛門氏が増殖した木)


初代の原木が兼六園にあったことから”兼六園菊桜“といわれています。幕末、慶応年間に孝明天皇が前田中納言(斉泰公)に贈ったことから“御所桜”といわれていたり、大和の吉野から移されたとかで“吉野桜”といわれたことも有るそうです。他に3っの幹に分かれていた3株は鼎(かなえ)の足の形をしていて、幹は七五三?になっていたことから“七五三桜(しめざくら)”ともいわていたそうです。


(まあ、兼六園には他に「唐傘山」が「栄螺山(さざえやま)」など、名前が幾つもある名所がかなりあります。)



(左も右も幹は何本か切られ、切口には黒く塗られています)


2代目は、右が京都の佐野藤右衛門さんが何度も増殖を試み昭和36年(1961)にやっと成功し、昭和42年(1967)に移植されたものと、左は金沢の岡田安右衛門さんが増殖したものを市内の戸板公民館から譲られたものですが、あれから半世紀いずれも虫がつき、毎年、枝が打たれ、切口は黒く塗られ、樹木は貧弱で痛々しいのですが、さすがに菊桜の王様、花の時期がくれば立派に花を付けています。



(兼六園菊桜の解説板)


(昨年は、左の木に花が多く付き、今年は右の木に花が異常多く葉があまり目立ちません、花が異常に多いのは問題かもと聞いたことがありますが、素人なのでよく分かりません。いざという時のため兼六園では、事務所横で”後継木”を育ててはいるものの、毎年楽しませて戴いている者としては、ちょっと心配です。)


(右の切口、痛々しい)

兼六園菊桜の特徴は、外側の花弁が淡紅色で、中心部は濃紅色です。落下するまでの間に3度も色を変えます。蕾の時は深紅、咲き始め薄紅、落下時は白に近くなり、花期が過ぎると花ごとポロリと下に落ちます。また、葉は幅の広い楕円形で、互い違いに生えます。




(花ごと落ちる兼六園菊桜)


(菊桜は八重桜の類ですが、花弁がおおむね70枚以上になるものを“菊桜”と呼ぶそうで、石川県内には、菊桜が特に多く「気多白菊桜」「阿岸小菊桜」「火打谷菊桜」「名島桜」「善正寺菊桜」「来迎寺菊桜」等の菊桜が知られています。)



(尾山神社の兼六園菊桜)


金沢・兼六園以外にも“兼六園菊桜”あります。
金沢・尾山神社、昭和10年頃、積雪により折れた兼六園菊桜の枝を,当時兼六園園丁であった方が,涌波町の方に接ぎ木を依頼し成功したもので、尾山神社に2本寄進されたものです。





(まだまだ元気な尾山神社の兼六園菊桜)


他、東京の新宿御苑に、金沢の兼六園の“2代目兼六園菊桜”から株分けされたものです。大阪・大阪造幣局の兼六園菊桜は、有名な造幣局の桜の通り抜けにあります。


参考文献:「百万石太平記」八田健一著 石川県図書館協会・昭和39年7月発行ほか


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