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古地図で巡る浅野川右岸

【常盤町→ひがし】
常盤町の石川県青少年総合研修センター(石川県青年会館)がスタートの“古地図で巡る浅野川右岸”をガイドすることになり現地に下見に行ってきました。石川県青少年総合研修センターは鈴見橋と常盤橋の間の浅野川に面した高台にありますが、安政年間に作成された古地図には何も描かれてないため慶応3年(1867)に開発された時に描かれた卯辰山開拓の絵図を参考に歩きました。


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(安政年間の古地図)

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(青年会館より浅野川上流、鈴見橋が見える)

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(石川県青少年総合研修センター(石川県青年会館)は、明治38年(1905)に移転開設された「小野慈善院」の旧地です。)



≪小野太三郎と小野慈善院≫
小野太三郎は、幕末、金沢藩に仕えた小者組で、元治元年(1864)の飢饉のとき、貧しく飢えた人々に持ち金をすべて施し、明治6年(1873)木ノ新保に家屋を購入し本格的に施設救済を個人で始めています。維新後は、士族などが売り払った食器や家具、古着などを修理し販売するなど古物・古着商として財をなし、その私財をすべて救養所の運営に充て明治23年頃には、施設救済者、金銭援助者を合わせて400人に至ったといいます。町の人たちも、困窮した人は小野太三郎の小野救養所が何とかしてくれるという思いを持つようになりますが、小野太三郎の晩年、その救養所の運営を維持していくには氏だけでは手には負えず、日露戦争の戦勝を記念して施設を卯辰山の地に移転し、「財団法人小野慈善院」となりました。昭和になると再び移転し、現在は「社会福祉法人陽風園」として引き継がれています。


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(小野慈善院跡、石川県青少年総合研修センター(石川県青年会館))


小野太三郎氏は、かって「知事の名前は知らなくとも小野太三郎の名前は知っている」といわれた人物で、明治38年(1905)に事業を財団法人化するまでには延べ1万人余を独力で救済し社会福祉事業を個人として日本で最初に実践した人物です。


≪常盤橋から天神橋≫
幕末、14代藩主前田慶寧公によって加賀藩領内の自立を目指した”領内富国強兵“の拠点として卯辰山が開発されました。明治2年(1867)に発行された「卯辰山開拓録」によると、粒谷町および常盤町が新たに町立てされ最新の工場群が立ち並んだと書かれています。


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(卯辰山開拓録の天神橋界隈)
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(卯辰山開拓録の粒谷町常盤橋界隈)


常盤町
産物集会所、生産店、揚場、錦絵所、鏡製造所、錫細工所、化同金製造所、錦手陶器所、水機織物、唐紙地製造所、紅染所、製油所、製綿所、製紙所、綿羊小屋


粒谷町
綿糸製造所、晒蝋所、陶器所及び陶器窯、大茶園


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(現在の常盤橋)
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(浅野川右岸より天神橋)


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(現在の常盤町)


卯辰山開拓については、「卯辰山開拓(その1~その5)」参照
「卯辰山②卯辰山開拓(その2)」
http://ameblo.jp/kanazawa-saihakken/entry-11550737519.html


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(帰厚坂)


≪帰厚坂から観音院≫
卯辰山開拓に際して拓かれた帰厚坂を途中より旧階段を登り観音院跡へ(現松魚亭など)
http://ameblo.jp/kanazawa-saihakken/entry-11151914929.html



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(蓮如堂と蓮如上人立像)

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(宝泉寺)


≪蓮如堂から宝泉寺≫
巨大な蓮如上人の立像は、大正末期から七年間かけて昭和7年(1932)に完成されたもので、その後、御堂が建てられました。毎年4月25日には蓮如忌、10月には報恩講が行われています。
http://ameblo.jp/kanazawa-saihakken/entry-11154606806.html



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(子来坂)
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(ひがし茶屋街)


≪子来坂からひがし茶屋街≫
子来坂の下の石柱には、慶応3年(1867)の開拓に人夫が日々、数千人がこの道より登ったので子来坂(コギ坂)だと書かれています。一説には、この坂の上に、開拓の時、集学所(小学校)が出来、子供達がこの坂から通学したためというのもあります。別名“乾坂“というそうですが、卯辰神社(天満宮)の”戌亥(いぬい)“の方角に有るということなのでしょうか?)
http://ameblo.jp/kanazawa-saihakken/entry-11647595801.html


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