【金沢市内】
金沢言葉には、単に市民同士がコミニュケーションを図るため、感情を直接表する言葉、例えば「だらま」や「ちごがいネ(ヤ)」「いじくらしいがいネ(ヤ)」「どんながやいネ(ヤ)」など、いわゆる金沢弁といわれる言葉と、もう一つ金沢の文化遺産ともいえる、ゆったりしておっとりとした会話や対話を楽しむような美しい言葉があります。
今回は、最近、忘れがちであまり聞かれなくなった、その美しい言葉、おもてなしの言葉とも言える、こまやかな人間関係から生まれた言葉について少しほじくってみます。お人さんへの気遣い、また、何を言いたいのか分からないえん曲な物言いなど、私も昔は“いじっかしい”と一蹴した金沢言葉です。
(金沢言葉の語尾の「ヤ」「ネ」は、男言葉は「ヤ」で終わる事が多く、また女言葉や男でも目上の人との会話では、語尾が「ネ」で終わります。)
金沢言葉については、昭和の終り頃、金沢市が聞き取り調査をし、接客言葉を中心に編集され刊行されていますが、そこに書かれている主に女言葉は、私等、戦中生まれには、聞けば分かるくらいで、会話として話せる人は少なくなりました。しかし、それらの言葉はよく読み、語源を考えれば、金沢の心が詰まっているように思えてきます。
以下、ほんの一部だけですが列挙します。
≪あいさつ言葉≫
「あんやと存じみす・あんやと」ありがとうございます
「いっておいで遊ばせ・いってらっし」さようなら
「いらさるこっちゃ」いてください
「おいだすばせ(遊ばせ)」いらっしゃいませ
「おきのどくな」すみません・ありがとうございます。
「お静かに」お気を付けて
「おひんなりさんでございみす」おはようございます
「おゆるっしゅ」よろしく
「おるまっし・おるまっしま」いてください
「ごめんあさばせ・ごめん」ごめんください
「ながいこって」お久しぶりですね
「まいどさん」今日は・今晩は
「またおいであそばせ」またお越しください
「いってござい」行っておいでなさ
「おいでみすき」居ますか
「ごきみっつぁん」確かに受け取りました(金銭受け取り)
(詳しくは、「加賀城下町の言葉」島田昌彦著を・・・)
≪ひがし茶屋で、名妓から作家井上雪さんが聞いた金沢言葉≫
金沢出身の小説家井上雪さんの「廓のおんな」は、“ひがし”で名妓と謳われた明治25年生まれの山口きぬさんが7歳から88歳で死ぬまで暮らした“ひがし(現ひがし茶屋街)”の記録ですが、その文体は当時の金沢言葉で綴られています。その主人公“きぬ”の言葉遣いは、今は忘れ去れたと思われる考えに考えて口にする洗練された金沢言葉で綴られています。
以下一部抜粋して引用します。
「・・・・なんの、なんの、もうちょっこし煽がしてくたはれ、ほんでェ、おたくさんな、お初でございみすけ、お茶屋てゆうとこは、ほうけ、ほうけ、ほんなら近いうちに、旦那さまと遊びにきてくたはれ。ほしたら、雪丸ちゃんを呼ぼってくたはれ、ほんまに芸熱心なもんの、やさし子ォやさけ。・・・・」
(詳しくは、井上雪「廓のおんな」(朝日文庫))
≪司馬遼太郎氏が聞いた金沢言葉≫
小説家の司馬遼太郎氏は、昭和40年代に、金沢を訪れ、市電の中での見知らぬ旧知の老婦人ふたりを見かけ、ふたりの様子をつぶさに観察し書かれています。車中でばったり会ったらしいふたりの長々とした敬語のやりとりに型とはいえ、一個の古雅な芸能を見たと書き、電車の降りしなの譲り合いに車掌から一喝されても「お静かに(お気を付けて)いらっしてだすばせ(遊はせ)」と“ゆっくりと言ったあたりは名優の演技を見るようで、様式美の極致であろう。すくなくとも封建時代につくりあげられた日本美の最後の残光をそこに見たようなおもいであった。・・・”と書いています。
(詳しくは、司馬遼太郎「歴史を紀行する」(文春文庫)昭和51年10月号)
参考文献::「加賀城下町の言葉」島田昌彦著、1998・1能登印刷出版部発行など