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Channel: 市民が見つける金沢再発見
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梅雨入りを吹っ飛ばした「百万石まつり」

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【金沢駅→金沢城】
金沢の「百万石まつり」大名行列は毎年、藩祖前田利家公が6月14日(旧暦4月28日)の金沢入城という史実を意識しながら行なわれてきた“お祭り”ですが、ある年から、観光客にも楽しんで戴こうと6月14日に近い土曜日に実施することになりました。その頃は梅雨の盛りとあって雨天の日が多く、平成19年(2007)から梅雨の影響を避けるため6月の第1土曜日に開催されるようになりました。



原田利家公)


ところが、今年の入梅は例年より1週間も早く、前日から各地の降雨が伝えられ、当日の金沢でも朝から曇天、午後、出掛けにポツリ一滴、“ままよ”と自転車で・・・。しかし、大名行列が駅を出立するころには、天は梅雨などツユ忘れたのか、暑さ知らずの“まつり日和”。お蔭さまで、汗もかかず久しぶりに快適に「百万石まつり」見物になりました。



(菊池お松の方)


このお祭りは戦後、進駐軍の指導で昭和21年(1946)から6年間「尾山まつり」として尾山神社奉賛会によって開催されていたもので、祭りが今の様な形になったのは、昭和27年(1951)に金沢市と金沢商工会議所が中心となって開催した商工まつりが第1回の「金沢百万石まつり」となり、今年で63回を数えています。





(パレード)


(もともと藩政期、金沢には惣祭がなく、藩主の慶事に不定期に藩の命で行なわれた「盆正月」がありましたが、明治のなり、尾山神社での封国祭に合わせて、大正12年から昭和20年まで金沢市祭として行われてきた奉祝行事がルーツだそうです。)




(尾山神社の御鳳輦 )


今年の百万石行列は、午後2:20金沢駅前をホラ貝のファンファーレに続いて行列がスタートしました。行列は百万石まつりの横断幕に次いで、北陸新幹線金沢開業をPRする横断幕、その後には、サッカーのツエーゲンや独立リーグのミリオンスターズの行列が続き長身の12番木田投手の姿も見えました。




ツエーゲン・ミリオンスターズそして金沢マラソン)



音楽パレードや伝統の獅子舞、約540人の消防団員ら加賀鳶(とび)、今に残る奴行列に続き、江戸から御入與道中、球姫をあやしたという酢屋権七の後には球姫、利常公、加賀八家行列、目玉の俳優の原田龍二さんの前田利家公、女優の菊池麻衣子さんの“お松の方”から赤母衣まで約25,000人が金沢城までの約3kmを練り歩き、史実も意識しながらも随所に新工夫が見られる素晴らしい行列は、沿道を埋めた観客約40万人の歓声に応えていました。









(パレード)

(金沢城に向かう加賀鳶)



(金沢城の盆正月)


(百万石行列の主役利家役に俳優を起用されたのは、第33回の昭和59年(1984)に地元出身の俳優鹿賀丈史さんが、お松の方は平成13年(2001)には女優斉藤慶子さんが起用されます。以後、一般公募の方が起用されたこともありましたが、利家公は昭和61年(1986)から、平成20年(2008)からは藩主と奥方が揃って俳優の起用が続いています。)



(第63回のボスター)


「百万石まつり」は、毎回見直されているらしく年々進化しています。数年前から金沢城では、加賀藩が前田家の慶事に行なわれたという「盆正月」が加わったことなど、従来の薪能や茶会など、さらに充実することで来年の北陸新幹線開通時には、平成18年頃の観客動員数58万人を上回わる兆しが感じられます。


(「盆正月」は、享保8年(1723)から明治2年(1869)まで、玉川図書館の近世史料館の資料によると41回開催されたといいますが、半分以上が12代斉広公、13代斉泰公、14代慶寧公の時代に頻繁に開催されています。幕末の盆正月は各町内に、獅子舞、祇園囃子、にわか、造り物・細工物の課題があり、番付表まで刷られ、煽っているさまが伺えます。)



(金沢城の「盆正月」のイベント


盆正月について詳しくは「百万石まつり②”盆正月“」
http://ameblo.jp/kanazawa-saihakken/entry-11270586476.html


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