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島田一郎②6人の刺客

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【金沢・泉寺町→東京・紀尾井町】
大久保利通暗殺から2ヶ月余り7月27日、島田等6人は大審院の臨時裁判所で取調べ全員斬罪の判決を受け、その日のうちにアミダ駕籠で市谷監獄に護送され首切り浅右衛門(山田浅右衛門)により執行されました。6人は同罪。その時、島田一郎31歳、長連豪26歳、杉本乙菊34歳、脇田巧一32歳、杉村文一22歳、浅井寿篤30歳はいずれも粛然と死につきます。


(金沢城石川門)


島田一郎は、判決の日の朝、鍛冶橋監獄から臨時裁判所に向かう呼び出しを受け、大声で「愛国の諸君さらば」と2度いったといいます。断頭場において係員から最後の遺言を聞かれ「いや、この期に及んで何も申し残すことなし」といい、長連豪は、当時の記録によると「北ノ方角ハ何レナラム」と相談するように聞き、彼方を指せば、それに三拝九拝して、「母上ガ在生ラルレバ」とか何かを誦えて、心中が察しられたと書かれています。


(島田は、すでに在監中に、石筆と石盤を借り一子太郎に7月10日付けで遺訓を残しています。)


(金沢の空)


島田一郎と5人の刺客の人となりは、島田は改めて次回に書くので、もう1人の首謀格の長から書きます。



長連豪(ちょうつらひで)は、加賀八家長氏の末流で家は長家に仕えています。此木(長家のもとの姓)連潔の長男として嘉永6年(安政3年説あり)金沢に生まれ後に能登に移る。母は織田信長をいさめ死んだ平手政秀の子孫で、明治になり此木家は長家の分家として長氏を名乗ようになります。明治5年の禄高は約90俵(島田は年給33石で同じくらい)。藩校名倫堂に学び、2回に渡り鹿児島に遊学し、西郷隆盛や桐野利秋の影響を受けています。島田とは明治7年ぐらいに知り合い、5歳くらいの年齢差はあったといいますが、深く交わり、直情怪行型の島田に対し、分家とはいえ金沢の名門育ちのインテリ風の熟慮型であったことから、大久保暗殺も成就したものといわれています。





(今の長の菩提寺瑞雲寺・明治以後宝円寺隣へ)


(左は瑞雲寺の長連豪の墓・宝円寺墓地の隣り)

(宝円寺墓地の隣りの長、此木の墓所)


杉本乙菊(しぎもとおとぎく)弘化2年(1845)加賀藩士杉本作左衛門(200石)の家の生まれ、島田を慕い終始行動を共にしたという。


脇田巧一(わきたこういち)加賀藩士脇田九兵衛(300石)の3男で弘化3年(1846)生まれ。明治6年金沢の変則中学監正になるが、同窓の松田克之と民選議院の設立を県庁の建言したが、受付けられないのに怒り辞職。長と交わり、西南戦役では、同志杉本乙菊とともに政府に死をもって忠告しようとするが果たせなかった。


杉村文一(すぎむらぶんいち)安政5年(1857)生まれの最年少。政治結社「忠告社」社長杉本寛正の実弟で長と深く交わり島田に私淑しました。


(杉村文一の長兄)


浅井寿篤(あさいじゅうとく)島根県士族でただ1人の他県人。嘉永2年(1849)鳥取藩士の家の生まれ明治9年3月警視庁巡査、10年西南戦役の従軍、凱旋後遊廓に遊び禁に触れ免職。11年3月従軍当時の島田の同志から計画を打ち明かされ賛同し一味になります。




(金沢の山)


事件をおこした6人以外の同志については、「斬奸状」を書き与えて陸義猶(くがよしなお)以下17人が下獄され、5名が免罪、無罪。9月26日には事件に関わった咎で旧加賀藩士6名が有罪になります。多くは旧加賀藩士で陸(くが)の秘書や他藩の者もいますが、武闘派で巡査や警部、近衛兵、官吏などもいて、維新後の旧加賀藩士の置かれた状況も窺えます。


(逮捕者の中に、禁獄30日を申付けられた警視庁の4等巡査の小林外與松がいます。事件とは何の関係もない石川県人で、維新後の加賀の低迷を嘆いていたが、刺客が石川県人と聞き喜び、金沢の兄に、「唯今人名云々誠に盛んなるや、何れも大立派の由、大国故とて皆々大感心、大久保内務卿座まみれと申者がり」などと書き送ったためあらぬ嫌疑を受けたという。



陸義猶(くがよしなお)は、終身禁獄を言渡されますが、明治22年5月の特赦で出獄、それ以後は前田家の嘱託として藩史の編集にあたり大正5年8月、東京根岸にて74歳で死亡します。


(陸は、加賀藩士陸次左衛門の長男として天保14年(1843)1月に生まれます。金沢で最初の政治結社「忠告社」の福社長で、初代石川県令内田政風を引出した立役者として知られています。幼時より藩儒の井口犀川に学び、文章に優れた才能をもち、大久保利道暗殺の「斬奸状」の他、政府への建白書、「忠告社」の設立趣意書などすぐれて名文を残しています。)


(つづく)


参考文献:「利通暗殺紀尾井町事件の基礎的研究」・遠矢浩規著、昭和61年6月、(株)行人社発行/「石川県史」・石林文吉著、昭和47年11月、石川県公民館連合会発行など


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