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「義血侠血」は兼六園殺人事件?

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【金沢・浅野川→兼六園】
金沢の三文豪といわれる泉鏡花ですが、近年、金沢への観光のお客様の幅が広くなり、三文豪といってもピンとこないのか聞き返されたり、鏡花のことを女性だと思っている人等など、お客様がご存知なければ話すこともないのですが、橋や滝の白糸像を見たり聞かれると、話したくなってしまいます。



(兼六園)


それで簡単でも前説を分かり易く工夫しなければ話しが伝わりませんので、偉大な郷土の作家のお作を一寸脚色して、もちろんお客様にもよりますし、当然、話の内容まで替えることはありませんが、時には天神橋を指し、また、「滝の白糸像」の前で、むかし見たテレビの2時間ドラマを真似て”兼六園殺人事件”等と無粋なことをいってはじめたりしています。



(並木町の滝の白糸像)


お恥ずかしい話しですが、実は私も観光ボランティアガイドになる前は、知っていることは金沢の人で、男性で本名鏡太郎、お芝居や映画の「滝の白糸」ぐらいで、「義血侠血」が原作であることも知らず、「滝の白糸」の映画に昔の金沢裁判所が映っていたのを聞きましたが映画は見ていませんし、特に興味もなく、泉鏡花記念館もボランティア大学校の研修で訪れたのが最初でした。



(並木町の滝の白糸碑)


「義血侠血(ぎけつきょうけつ)」は、明治27年(1894)泉鏡花が師匠尾崎紅葉の添削を経て読売新聞に掲載されたもので、はじめは「なにがし」の作として発表され、翌年すぐに新派の舞台に、上演には鏡花に無断で筋立ては大胆に変更されたと聞きます。


(観客の反応は上々だったらしく、やがて水芸のシーンも舞台に取り入れられ、「滝の白糸」は新派の代表的狂言の一つになり、水谷八重子の八重子十種の一つにも数えられたそうです。)



(梅の橋から天神橋)


物語は、法曹をめざす青年を、旅芸人の女性が金銭的に援助することになり、その金を奪われ犯してしまった殺人事件を、検事となったその青年が断罪するというもので、鏡花の初期を代表する作品ですが、あらすじだけを見ると、恩人を死刑に追い込んで自分も死ぬという、鏡花独特の極端な物語です。



(梅の橋から天神橋)


お話は、滝の白糸(水島友)の美しさと狂気、天神橋の上での村越欣也との切なくなるようなやりとりは、鏡花ならではの描写で、かといって説明的ではなく、はじめから舞台を意識して書かれたのではと思われるくらい艶やかで、読んで見ると不粋な私にも華やいだ美しい情景と雰囲気が伝わってきます。



(泉鏡花記念館)


文語で書かれた鏡花作品は、私は気が進まず、ガイドになる前までは見向きもしなかったのですが、「義血侠血」は仕事だと思い読んでみると、悲劇より喜劇派の私にも、浅野川や兼六園が舞台ということから愛着もわき情景が想像出来、はじめて最後まで読んだ鏡花の本でした。



(久保市っあん)


もう一つ読んでいて楽しくなったことは、今はあまり見かけない漢字のルビです。お蔭で野暮で乏しい教養の私が少~し利巧になったような気がしてきます。押し売りになりますが、「義血侠血」の最後シーンを、ルビは並列に書きますが、引用します。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「水島友、村越欣弥が……本官があらためて訊問するが、裹(つつ)まず事実を申せ」
友はわずかに面(おもて)を擡(あ)げて、額越(ひたいごし)に検事代理の色を候(うかが)いぬ。渠(かれ)は峻酷(しゅんこく)なる法官の威容をもて、

「そのほうは全く金子(きんす)を奪(とら)れた覚えはないのか。虚偽(いつわり)を申すな。たとい虚偽をもって一時を免(のが)るるとも、天知る、地知る、我知るで、いつがいつまで知れずにはおらんぞ。しかし知れるの、知れぬのとそんなことは通常の人に言うことだ。そのほうも滝の白糸といわれては、ずいぶん名代(なだい)の芸人ではないか。それが、かりそめにも虚偽(いつわり)などを申しては、その名に対しても実に愧(はず)べきことだ。人は一代、名は末代だぞ。またそのほうのような名代の芸人になれば、ずいぶん多数(おおく)の贔屓(ひいき)もあろう、その贔屓が、裁判所においてそのほうが虚偽に申し立てて、それがために罪なき者に罪を負わせたと聞いたならば、ああ、白糸はあっぱれな心掛けだと言って誉(ほめ)るか、喜ぶかな。もし本官がそのほうの贔屓であったなら、今日(きょう)限り愛想(あいそ)を尽かして、以来は道で遭(あお)うとも唾(つば)もしかけんな。しかし長年の贔屓であってみれば、まず愛想を尽かす前に十分勧告をして、卑怯(ひきょう)千万な虚偽の申し立てなどは、命に換えてもさせんつもりだ」


かく諭(さと)したりし欣弥の声音(こわね)は、ただにその平生を識(し)れる、傍聴席なる渠の母のみにあらずして、法官も聴衆もおのずからその異常なるを聞き得たりしなり。白糸の愁(うれ)わしかりし眼(まなこ)はにわかに清く輝きて、


「そんなら事実(ほんとう)を申しましょうか」
 裁判長はしとやかに、
「うむ、隠さずに申せ」
「実は奪
(と)られました」
ついに白糸は自白せり。法の一貫目は情の一匁なるかな、渠はそのなつかしき検事代理のために喜びて自白せるなり。
「なに? 盗
(と)られたと申すか」
 裁判長は軽
(かろ)く卓(たく)を拍(う)ちて、きと白糸を視(み)たり。


「はい、出刃打ちの連中でしょう、四、五人の男が手籠(てごめ)にして、私の懐中の百円を奪りました」
「しかとさようか」
「相違ござりません」



(兼六園)


これに次ぎて白糸はむぞうさにその重罪をも白状したりき。裁判長は直ちに訊問を中止して、即刻この日の公判を終われり。


検事代理村越欣弥は私情の眼(まなこ)を掩(おお)いてつぶさに白糸の罪状を取り調べ、大恩の上に大恩を累(かさね)たる至大の恩人をば、殺人犯として起訴したりしなり。さるほどに予審終わり、公判開きて、裁判長は検事代理の請求は是(ぜ)なりとして、渠(かれ)に死刑を宣告せり。


 一生他人たるまじと契りたる村越欣弥は、ついに幽明を隔てて、永(なが)く恩人と相見るべからざるを憂いて、宣告の夕べ寓居(ぐうきょ)の二階に自殺してけり。


(明治二十七年十一月一日―三十日「読売新聞」)


参考文献:青空文庫「義血侠血」等


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