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昔も今も、金沢の町名(まちな)

【金沢市内】
金沢の最も古い町名として、近江町、西町、堤町、南町、後町の5町が上げられます。その5町は前田氏入城後の町々と区別して「古金沢町」という学者もいます。


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(金沢城三十間長屋・この辺りに金沢御堂があったといわれています。)


その町々には、佐久間盛政が治めた頃、尾山八町といわれた近江町、西町、堤町、南町、金屋町、松原町、安江町、材木町にも含まれていない後町が見えます。また、南町と堤町は、現在の金沢城のところにあった一向宗の金沢御堂の周りの寺内町にあり、現在のところとは違います。


(寺内町は永禄年間(1558~70)に金沢御堂を取り巻くように在ったといわれています。多分、後町もこの当たりに有ったものと思われます。南町は、その金沢御堂の南側にあり、堤町は、内惣構の堀を掘り上げた土を盛った堤の上に出来たことに因むといわれていますが、言い伝えでは一向一揆の時代、砂金を洗った堤だとも聞きます。それらによると両町は金沢において最も古い町だといえます。)


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(金沢御堂の柱の礎石か)


両町が移されたのは、文禄元年(1592)頃、金沢城拡張に伴って、現在の場所に移転したという説と、寛永12年(1635)5月に内惣構の内側で火災があったのを契機に、内惣構の堀の外で町割りが行われという2説があります。現在地の北国街道沿いに移されますが、いずれにしても両町は藩政時代初期から本町として高い町格の町だったようです。


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(今の南町)


しかし320年以上に渡り、本町として、町格を誇った南町、堤町(上堤町、下堤町)は、前回にも書きました昭和37年(1962)「住宅表示に関する法律」により、どういう訳か消えてしまいます。これも前回書きました「旧町名復活」の運動により、南町は平成20年11月1日に下堤町に一年後の平成21年11月1日に復活します。


(あくまでも推測ですが、いや邪推ですが、両町とも昔と位置が違うじゃないかといって外されたということなのでしょうか?何しろ約900数10町あった町名を約半分削除する分けですから、四の五の言ってはおれなかったのでしょう?何故か行政と学者のせめぎ合いで押し切られる学者が浮かびます。それにしても何と乱暴な・・・。)


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(今の下堤町)
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(堤町の石碑)

他の尾山八町は、400年という長い歴史の中で途絶えたり、合併で一部名称が変更になったり、またまた復活していますが、現在のところは「金屋町」だけが、石碑を留めるだけになっているのが残念です。


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(今の旧金屋町)
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(旧金屋町の石碑)
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(今の西町)
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(今の近江町)


旧町名の復活には、厳しいルールがあって、町内の中で反対があれば成立しないとか、お世話した方々の苦労も聞きえています。今までに復活したところには、100数10所帯の町も有りますが、病院や学校と20数所帯や、会社が多く10数所帯の町もあるそうです。ある町のように、旧町名へのこだわりと復活への熱い思いの町ばかりではないので大変だと思いますが、こればかりは住民と、推進された元市長のような情熱に期待するしか有りません。


やがて市長選ですね、何方が当選しても、何卒よろしくお願いします。


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