小立野の古地図めぐり②赤シャツ伝説
【金沢・小立野】 小立野の古地図を見ると、現在の金沢大学病院のところは、前回にも書きましたが与力町で100軒ばかりの家々が建並んでいて、屋敷地には、玄関側と思しきところから苗字が書かれています。つぶさに眺めていると、聞いたことのある名前が目に入りました。 (横地家が有った辺りから金沢城が見える)...
View Article小立野の古地図④亀坂(がめざか)と御小屋坂
【金沢・小立野】 小立野の旧道にある亀坂(がめざか)は、昔、金沢城の築城に際し、戸室山から戸室石を運ぶにあたり、深い谷を埋め勾配をゆるくしたところで、亀坂(がめざか)という名前の由来も諸説聞かれます。難所のため石を引っ張るとき亀の歩みのようにゆっくりになのでとか、また、谷が亀の甲羅を逆さまにしたような形だったからだと聞いたことがありますが、本当のところは藪の中です。 (この通りが亀坂(がめざか)...
View Article天徳院にあった室生犀星の茶室
【金沢・小立野、天徳院】 金沢の三文豪の一人といわれている室生犀星は、34歳の大正12年(1923)9月1日関東大震災で、翌10月には、家族とともに金沢に帰り、妻とみ子の生家池田町の浅川方に仮住まいのあと川御亭や川岸町に移り、その後、数年金沢と東京、軽井沢を行ったり来たりしています。 (天徳院)...
View Article小立野の古地図めぐり⑤天徳院
【金沢・小立野】 安政期の金沢絵図では、天徳院の敷地が一部欠けていて全体図が分かりませんが、資料等によると当時の天徳院は4万坪という壮大な敷地の中に建ち、小立野にある前田家所縁の他の3ヶ寺はいうに及ばず竹沢御殿(現兼六園)より大きいといわれています。...
View Article小立野の古地図めぐり⑥如来寺
【金沢・小立野】 藩政期、浄土宗の触頭の竜宝山如来寺は、開祖覚蓮社岌台文公(きゅうだいぶんこう)が天正年中(1573~1591)越中の増山に一寺を建立し、如来寺と号し、その後、高岡二上山山麓に移転し、さらに金沢の卯辰山麓(現蓮昌寺の場所)に移りました。 (山門から本堂) (正面に徳川家の葵の紋と前田家の梅鉢紋)...
View Article小立野の古地図めぐり⑦経王寺
【金沢・小立野】 経王寺は、日蓮宗の寺院で、ご本尊は「十界大曼荼羅」です。山号を寿福山といいます。加賀藩祖前田利家公の側室で、3代藩主利常公の生母寿福院(千世・千代保)の開基のお寺です。利家公没後2年の慶長6年(1601)に建立されました。 (現在の経王寺)...
View Article小立野の古地図めぐり⑧宝円寺(その1)
【金沢・小立野】 宝円寺の寺号は護国山、前田家藩主一族の位牌が安置された前田家の菩提寺で曹洞宗の寺院です。前田家ゆかりの寺院には、前にも紹介した天徳院は曹洞宗ですが、如来寺は浄土宗、経王寺は日蓮宗、寺町の玉泉寺は時宗、氷見の勝興寺は浄土真宗と宗派の違う寺で菩提を弔っていたようです。...
View Article「梅田日記」と幕末の古地図①
【金沢・浅野川界わい】 金沢の幕末の古地図には、今も残る町や小路、橋等がかなり正確に描かれています。古地図の浅野川界わいを眺めていると幕末に書かれて庶民の日記「梅田日記」の場面が浮かんできました。何回かこのブログで記事にしましたが、調べてみるとほとんどが断片的で、話の流れが書かれていないことに気づきました。...
View Article「梅田日記」と幕末の古地図②
【金沢・西御坊町と下博労町】 「梅田日記」の筆者梅田甚三久は、天保4年(1833)(明治の35年前)金沢の西御坊町(現在の西別院辺り)で生まれています。昭和30年代、町名が変更される前の五宝町です。照円寺の横を入り、左手に西別院がありますが、さらに行くと右側に塩屋町に繋がる道がありその辺りだったようで、文化8年(1811)の町絵図には、父親の家ですが、それらしい家がありました。...
View Article「梅田日記」と幕末の古地図③
【金沢・下博労町】 甚三久は、安政5年(1855)22歳の時叔父が死ぬと、その跡をついで能登屋甚三郎と名乗ります。その後20代の彼は何をして過ごしていたのかよく分かりませんが、読み書きソロバンに優れ、後に砺波郡高宮村に謡指導や材木町の町人が甚三久に半年間入門するなど“謡”は趣味を超えた玄人裸足、決して無駄に過ごした20代ではなかったように思われます。 (今の中の橋から主計町)...
View Article「梅田日記」と幕末の古地図⑤
【金沢・並木町・旧観音町他】 藩政期の金沢町人は、隣保制度により十人組(10人ないし町によっては数10人単位)が組織され、組合員として町行政に組み込まれていました。各組は組合頭が定められ町肝煎・町年寄の統率下にありました。これは連帯責任・相互監察・相互扶助の単位であり、治安維持や町の中での争議の解決や法令の伝達周知の徹底を図っています。 (今の並木町と浅野川)...
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View Article古地図に見る金沢東山の町名
【金沢市内】 金沢の古地図には、今では消えてなくなった町名が書かれています。特に東山界わいでは北国街道の西も東も東山になり、東山何丁目だと聞いてもピンときませんが、町名を大きな括りにすることで悪所のイメージが払拭さるとか、戦中の隣保制度のしがらみから開放されるというメリットもあったようにも思われます。 (藩政期の町名が書かれている安政期の古地図)...
View Article昔も今も、金沢の町名(まちな)
【金沢市内】 金沢の最も古い町名として、近江町、西町、堤町、南町、後町の5町が上げられます。その5町は前田氏入城後の町々と区別して「古金沢町」という学者もいます。 (金沢城三十間長屋・この辺りに金沢御堂があったといわれています。)...
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