藩政期の金沢の町格
【藩政期の金沢町】 200年以上前の享和3年(1803)に加賀藩が幕府に提出した記録によると、金沢町奉行支配の町会所が管理していた町は100数町(侍町との混在は含まず)有ったといわれています。その他それぞれの町に属した“小名”という通称が約60数町。幕末になると“小名”も含めると200数10町だったそうです。...
View Article尾山神社①金谷御殿
【西町→南町】 先日の“近江町”から“せせらぎ通り”を歩いた「金沢まちなみツアー」の続きです。設計者の解説付きの金沢商工会議所を経て、藩政期の堀の跡を歩き、今はありませんが明治17年(1884)焼失した鼠多門と金谷御殿を繋いでいて、再建を計画している鼠多門橋が有った下を通り、尾山神社の東神門から神域に入れました。 (東神門) (東神門の二頭の龍)...
View Article尾山神社②由来など
【金沢・尾山町】 尾山神社は、慶長4年(1599)に大坂で亡くなった前田利家公に始まります。遺言どおりに金沢の野田山に葬られ、その後、2代藩主前田利長公によって、金沢城の鬼門の方角(東北)にあたる卯辰山麓に、越中国射水郡の式内社物部神社(守山海老坂)に併祀されていた八幡神を勧請して、卯辰八幡宮(今の宇多須神社のところ)が建立され、そこに利家公の霊を合祀し、加賀藩を守護する存在として祀られました。...
View Article金沢城の石垣①後藤家文書
【金沢城内】 毎週日曜日8時は、大河ドラマ「黒田官兵衛」。あの後藤又兵衛が、何時も苦渋に満ちた顔で地味に描かれています。子供の頃、雑誌や漫画で見た又兵衛は豪傑で、黒田官兵衛や黒田長政より身近な存在で、というより当時は、そこに描かれていたはずの官兵衛も長政も目には入っていなかったのです。 (金沢城の石垣)...
View Article金沢城の石垣②穴太家と後藤家
【金沢城内】 6代目後藤彦三郎の文書によると、加藤清正等「城取鍛錬之衆」が城の縄張りをし、それに基づき、指図に従って石垣造りに携わったのが安太衆だといわれているそうですが、それは清正の縄張りで熊本城が築かれた時、近江国から率いてきた“穴太衆”が石垣造りに携わったことから、そのように伝えられていたのだと思われますが、穴太衆は、きわめて古い時代から活躍していた石工の集団でした。 (土橋門の石垣)...
View Article後藤又兵衛①
【播磨・豊前・筑前】 金沢城の石垣を調べていたら、あの後藤又兵衛が出てきました。歴史上の人物でも、私には、判官贔屓も手伝って子供の頃から好きな豪傑ですが、最近、NHKの大河ドラマに登場し懐かしさから興味を持ち、今回は少し脱線し又兵衛にします。 (金沢城石垣・又兵衛とは直接関係ありません)...
View Article後藤又兵衛②
【筑前・豊前・播磨・備中・京・大阪】 黒田家を出奔した又兵衛は、小倉の細川忠興を頼りますが、元から関係がこじれていた黒田家と細川家が一触即発の状況となり、徳川家康などの仲裁で細川家を退去します。しかし、又兵衛の智勇を惜しんだ全国の大名からお声がかかります。 (又兵衛と直接関係がありません・巨大な石)...
View Article室生犀星①犀星のみち
【犀川大橋→左岸→桜橋→右岸→犀川大橋】 金沢には三文豪といわれている鏡花、秋声、犀星の名前で呼ばれる「みち」があります。「鏡花のみち」も「秋声のみち」も浅野川で左岸と右岸ですが、「犀星のみち」は犀川にあります。 (春!!犀川大橋辺り)...
View Article室生犀星③照道少年
【金沢・野町界わい】 大正の初め頃、仲間内の誰一人として室生犀星の後半の大成を期待するものはおろか、その才能を知る人もなく、東京根津権現あたりの居酒屋に入り浸り、ただ酒を喰らってあばれるだけしか能がない“ダラ”だと決め付けていたと佐藤春夫の「詩文半生記」に書かれていると何かの本で読んだことがあります。俄然“室生のダラ”の子供の頃に興味がわき、いろいろ拾ってみました。 (今の雨宝院)...
View Article犀星のおもいでの金沢を歩く
【八坂→犀川用水】 昭和30年発行の雑誌「暮らしの手帖」に“おもいでの町金澤”という6ページ立ての犀星の文と写真が載った記事があります。多分、当時ですから写真はグラビヤ印刷だと思いますが、味わい深いモノクロで、その頃の流行の撮り方なのでしょうか、少し陰気ですが、そこには犀星の文章と共に何とも懐かしい昔の金沢があります。 (犀川大橋)...
View Article金沢の「まちなかバナーフラッグ」
【金沢駅→香林坊→片町・広坂・竪町・柿木畠】 金沢市には、経済局営業戦略部プロモーション推進課という他市ではあまり聞いたことのない課があります。業務は、聞くところによると来年(2015)春の北陸新幹線金沢開業に向けて、首都圏における総合的プロモーションの展開や、開業気運の醸成と開業記念イベントの開催などを担当する課だそうです。 (広坂通りのバナーフラッグ)...
View Article重要伝統的建造物群保存地区”白峰“
【白山市白峰】 数年前から地元の公民館の「史跡めぐり」に関わっていますが、今回はバス一台を仕立て白山山麓の旧白峰村に出掛けました。生憎の雨模様、それでも予定の林西寺の白山本地仏、百万貫の岩、御前荘での岩魚の塩焼きの昼食、傘を差しての町中散策、白山ろく民俗資料館の見学。そして、白峰のみなさんの心のこもったおもてなし、雨降りは雨降りなりの楽しいバスツァーでした。 (白山本地堂)...
View Article“美濃”重要伝統的建造物群保存地区
【岐阜県美濃市】 ご縁があり、白峰から1日おいて、またまた重伝建地区に行っていました。その日も雨模様、仲間内の観光ボランティアガイドの年に一度の日帰りの研修旅行です。平均年齢は何処にも負けないくらい高いのですが、皆さんは向上心も高く前向きで、いや上向きで、今年は、うだつが上がる“美濃”がターゲットになりました。 (うだつの上がる町)...
View ArticlePR: みんなでつくろう!安心の街 地域安全活動-政府広報
全国各地で住民が自主的に様々な地域安全活動に取り組んでいます。詳しくはこちら。 Ads by Trend Match
View Article第20回寺町サミットin上越①
【上越市高田地区】 平成6 年(1994)に寺町を持つ市長が集まり「寺院群都市会議」が結成され、その第1回寺町サミットが金沢で開催されました。以後9都市が持ち回りで開催し20年。今年は10月24日と25日の2日日間、今回で4回目になる上越市が、親鸞聖人所縁の現在本堂が国の重要文化財に指定されている浄興寺で開催され、私も1年ぶりで参加させて戴きました。 (意見発表会)...
View Article越後高田と加賀金沢②忠輝と利常
【高田・金沢】 高田藩の松平忠輝と加賀藩の前田利常は、豊臣政権では共に大老といわれた徳川家康と前田利家の側室の子として生まれます。父親との縁が薄く2人の父親との対面は6歳(忠輝は7歳説も有り)の時だといわれていますが、利常は父利家から気に入られ大小2刀を授けられています。しかし忠輝は、家康が誕生を素直に喜ばず、始めて対面したときも嫌ったと言われています。 (忠輝:天正20年...
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