【金沢・西町】
先日、金沢の建築家の皆様の「金沢まちなみツアー」のご案内をさせて頂きました。2時間一寸。武蔵が辻の近江町いちば館から尾崎神社経由で鞍月用水沿い“せせらぎ通り”の「香林坊にぎわい広場」まで。このコースで巡るのは前週のリハーサルに次いで2回目。何れもよく知っているところですが、新旧の建造物や改修された用水の開渠などを繋げたコースは金沢のまちづくりに熟知した建築家の皆様のプランで、切り口を変えればこんなコースが組み立てられることを知り、その新鮮さと金沢の奥の深さに感動しました。
当日は、青草町の村野藤吾氏の北國銀行、谷口吉郎氏の旧石川県繊維会館、大正時代に建てられた各部屋で茶事ができる露地のある園邸・松向庵、尾崎神社、設計者も参加された新築の金沢商工会議所、尾山神社そして市がご苦労され開渠された藩政期の西外惣構の堀と堀沿いの「せせらぎ通り」を巡りました。
(古地図にツアーコースとダブらせると)
今回のツアーは、どこも書きたいところばかりですが、今日は、建物の中に入れて頂いた西町の3ヶ所、旧石川県繊維会館、旧園邸・松向庵、尾崎神社をズームアップすることにします。この3ヶ所は、カメラの枠におさまる位置にあるくらい近くに有りますが、今までつなげてご案内することなど、思いもしなかったのに・・・と思うと、金沢市内ツアーもテーマ次第で組み立て方次第で、多様で内容のあるものになるように思いました。
(近くを歩くだけ・・・省エネですが“手抜きや~”と言われかもネ。)
≪旧石川県繊維会館(現・西町教育研修館)≫
旧石川県繊維会館は、金沢が戦災に遭わなかったこともあり、いち早く立ち直った繊維業界の勢いがうかがえます。昭和27年(1952)当時、金沢には見たこともない斬新な建物でした。折り鶴のシャンデリア、板に宮本三郎が油絵具で書かれた壁画、自然の石をそのまま組み合わせた鉄平石の乱貼りの床など、それぞれをみれば奇抜ですが、全体は、近代的で、清らかで、そして和の雰囲気に包まれ、歴史と伝統が感じられる金沢を象徴する建物のように思われます。不思議!!
(西町教育研修館)
(谷口氏は金沢生まれで「藤村記念堂」や「東宮御所」、「東京国立博物館東洋館」などを手がけた有名な建築家で、金沢では旧石川県繊維会館の他、旧石川県立美術館(現石川県立伝統産業工芸館)や子息の谷口吉生氏との共同設計の金沢市立玉川図書館、卯辰山の徳田秋声の文学碑などがあり、博物館明治村の初代館長で、金沢の名誉市民第1号、文化勲章受章者でした。)
(鶴のシャンデリア)
平成元年(1989)制定された金沢市の「金沢市における伝統環境の保存および美しい環境の形成に関する条例」の基となった、昭和43年(1968)、全国の自治体に先駆けて制定された「金沢市伝統環境保存条例」の提唱者です。
http://www.kanazawa-museum.jp/ijin/index.html
≪旧園邸・松向庵≫
大正10年(1921)頃、羽二重商を営んでいた本郷氏の邸宅で、各部屋が茶事に使えるよう露地ともども、表千家家元千宗左、惺斎宗匠の指導によるものといわれています。大正から昭和にかけて月釜が掛けられ、本格的な茶事が催せる茶室として評判だったそうです。茶室は三畳台目の「松向庵」、その他に十畳の広間、水屋、待合などが坪庭を中心に巧みに構成されています。
外観は、水平につらなる長屋門を思わせる門と塀が端正な趣を醸し出し、本屋の重なる切妻屋根と調和した落ち着いた品のよい佇まいです。後に、園氏が取得され、住まいとしましたが、夫妻の亡きあと、その遺志により、平成4年(1992)10月に金沢市へ寄贈され、平成6年(1994)5月11日に金沢市指定文化財に指定されました。
時間 9:00~16:00(事前にお申込のあった時間)
休館 第2・4火曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始
申込方法・問い合わせ (公財)金沢文化振興財団 TEL:076-220-2190へ
(金沢城の東照宮想像図)
≪尾崎(おさき)神社≫
明治11年(1879)、城内が7連隊の兵舎のなり、軍の機密が漏れるということから、徳川家康を祀った東照宮を、現在地の御算用場の跡地に移築され、名も尾崎神社と改めました。
(本殿と宮司さん)
(ギヤマンの狛犬・寛永8年上野寛永寺より)
寛永20年(1643)加賀藩4代藩主前田光高公が曽祖父である徳川家康公(東照大権現)をお祀りするため、金沢城北の丸に建立されました。本堂に残る飾り金具や彩色は、創建当時の状態がよく残っていて、初期の金沢城の貴重な建物の遺構で、現在、移築された本殿、拝殿・弊殿、中門、透塀等は国の重要文化財に指定されています。
参考資料:金沢城調査研究パンフレット・金沢ふるさと偉人館の資料など