Quantcast
Channel: 市民が見つける金沢再発見
Viewing all articles
Browse latest Browse all 876

金沢そして高山「もう一つの世界」高山編②

$
0
0

【高山市、江名子町→飛騨千光寺のふもと】
11月15日午後。挟土氏が、平成10年(1998)9ヶ月を費やし修復した荏名神社(えなじんじゃ)の境内にある荏野文庫土蔵(えなぶんこどぞう)を尋ねました。約150年に土蔵を塗ったのは江戸屋万蔵と呼ばれた土蔵左官で、江戸の神田で人を殺めて飛騨に逃れ、江戸風の土蔵技術を高山に伝えた人物だといいます。



(荏野文庫土蔵)


(荏野文庫土蔵は、幕末に建てられた飛騨出身の国学者田中大秀の文庫蔵で、火災と鼠害(そがい)に備え池の中に建てられています。壁土は京都の吉田神社がある神楽岡から運ばれたといわれ、その黄色い土壁の修復は挟土氏が本格的にコンクリートから土へシフトする分岐点であり新たな出発点になったところです。)



(荏野文庫土蔵解説)

挟土氏は土の配合だけでなく、その感覚や考え方まで徹底的に調べ上げるうちに江戸屋万蔵の気合が伝わって来たそうで、ご本人は、「伝わってくるというか、通信しあっているような不思議な気分が、俺の中にあった。」とお書きになっています。また、土壁を調べていくと黄色の土壁が、はじめはピンクに塗ろうとした形跡が見つかったともおっしゃっていました。



(万蔵に左官鏝?)


当日、見せて戴いた左官鏝は、「鋼の鏝」に「黒柿の柄」時代物で出何処は、かって万蔵が住んだと言われる町で、もしかすると万蔵が使ったのではと思われるものだそうで、素人にはよく分りませんが、握らせて戴くと、話を聞いて直ぐということもあり何か本当のような気がしてきました。



(挟土秀平氏)


≪江戸屋万蔵伝説≫
挟土氏の江戸屋万蔵への思いに引きずられ、興味が募り、あれこれ調べてみましたが、何処にも無く挟土氏のブログにたどりつきました。


http://blog.syuhei.jp/
遠笛 左官-挾土秀平のブログ
2011.08.18 Thursday
薄れる故郷・・・その1



(荏名神社)

(江名子町の道分け灯篭)


最後に訪れたのは左官のサンプルが展示されている事務所ですが、その前に、昔、あの円空が滞在したという千光寺のふもとの山林で、挟土氏が自然を残し、腐葉土をキープするために、機械も極力使わず、自分たちの手で切り開き、石積みも手積みで石工もびっくりの凄い石垣を組み、庭も手造り、ギフ蝶が飛び交うという飛騨の山野草や自然の樹々の中にある「歓待の西洋館」を特別に見せて戴きました。挟土氏は、もう直ぐ完成するといっているそうですが、すでに10数年の歳月が過ぎ、みんなは「完成することのない館」だと言っているとか・・・。


進入防止や防犯上から写真は撮れませんでしたが、いささかファジーな網膜に焼き付けて帰ってきました。


参考資料:加賀藩交流事業「挟土秀平とめぐる飛騨高山「アナザーワールド」参加メモより・http://blog.syuhei.jp/   遠笛 左官-挾土秀平のブログ


Viewing all articles
Browse latest Browse all 876

Trending Articles