【辰巳ダム→三段石垣→(犀川浄水場→涌波塩硝蔵跡)】
観光ボランティアの仲間で辰巳ダムの見学に行ってきました。辰巳用水については、一年ほど前に何回かに分けて書きましたが、今回は辰巳ダムや上流部の隧道、今は、暗渠のなっている犀川浄水場の兼六園の取水口を、さらに昨年「史跡」に指定された土清水の塩硝蔵跡の発掘作業現場を見学してきました。
≪辰巳ダム≫
このダムは、洪水調節目的に特化した穴あきダムです。通常は水を貯めない河川の一部ですが、大雨で洪水が起きそうな時、その機能を最大限に発揮するように作られ、いつもは放流をしません。総事業費約240億円。平成20年(2008)に着工し、平成24年(2012)6月に運用が始まりました。
(当初は治水・利水など複数の目的で利用できる多目的ダムとして計画されましたが、既存のダムとの水量配分の見直しなどから、普段は水をためないダムの計画が変更され、高さ47メートル、長さ195メートル、総貯水量600万立方メートルです。)
(参加者)
当初の建設計画では、流域が史跡「辰巳用水」であり、用水を水源とする兼六園の取水口(東岩)が水没する設計から、予備調査をはじめた昭和49年(1973)から建設反対運動が続いてきましたが、設計変更の後も争点が変わっても反対運動がエスカレートし、完成まで38年を費やしています。
(東岩)
このダムは、上流の犀川ダム、犀川支流の内川ダムと連携して洪水を防ぎ、流量が少ない時も下流で一定量を確保するよう調節する狙いがあり、浅野川中流で犀川へ分流する放水路の水量を増やすことで、平成20年(2008)7月、浅野川で起きた大規模氾濫の再発防止を図ることも目的の一つだそうです。
(清浄が滝(猩々が滝))
≪清浄ヶ滝(猩々ヶ滝)≫
辰巳用水の取り入れ口東岩から約5kmつづく水トンネルは、清浄が滝(猩々が滝)をくぐったこの地点で数メートルだけ開渠になりすぐにまた暗渠に入ります。ここは、辰巳用水の上を流れる寺津用水の配水が落ちるように作られていて、水深が深く、水路の底には下流側は逆勾配になっている。水門を開けると、上流側、下流側の両方から勢いよく水が落ち、水路にたまった泥を吐き出す仕掛けになっています。作業が困難な水トンネル内のメンテナンスを解決した先人の知恵が窺えます。
(ソーラーシステム)
(水門には、近年ソーラーシステムが取り付けられ電動で開閉が出来るようなり、作業は随分楽になったそうですが、まだ遠距離操作が出来ないらしくて現場で来て操作するそうです。)
≪辰巳用水の隧道の中≫
隧道の中は、今回は横穴から懐中電灯で覗くだけでしたが、戦後、直ぐから管理の携わってこられた方のお話によると、この横穴から左右に掘り広げられたものですが、他に管理用に残されたもので、現在はもちろん施錠されていて、勝手に入ることは出来ません。
≪三段石垣≫
上辰巳付近の三段石垣群は、付近の地盤がもろくて崩れやすいため260mにわたり石垣が築かれその上に水路が造られています。また、前面がもともと犀川の河原だったことから侵食を防止する施設だともいわれています。江戸時代の絵図によると19世紀にはすでの築かれていたことが分ります。
(つづく)
参考資料:国史跡「辰巳用水 附 土清水塩硝蔵跡のパンフレット・辰巳用水土地改良区の畦地氏の解説他