【金沢東山界隈】
11月最後の日曜日。天候に恵まれ絶好のガイド日和・・・。朝、長野からのお客さまと東山界隈を歩きました。この時期としては何ともうれしい青空、いつもは気にならないキラキラ輝く卯辰山中腹にある料理屋の屋根瓦が美しく感じられました。
しばし立ち止まり、お客様に、その料理屋と関わりがある北大路魯山人の話をしながら、屋根瓦を眺めていました。その後も、目に入る黒光りの瓦が気になり歩きながらシャッターを切っていました。
釉薬をかけた金沢の黒瓦は、良いお天気には、日ざしが反射しキラキラ輝き、街に独特な風情をかもしだしています。最近は、ビルが多くなった市内では昔より少なくなりましたが、東山界隈は木造の建物が多くよく見かけます。さらに少し登った卯辰山中腹にある宝泉寺から見下ろせば、もっと美しいのですが、今回は、予定のコースに従い先に進みました。
しかし、その風情は決して伝統的のものではなく、藩政期の城下町金沢では、瓦屋根は少なく大身の武家屋敷でもコバ葺き(杉の正目)が多く、中級以下の武家屋敷や町家では、へギ板(割り板)で葺いて、板が飛ばないように石を置いた板葺きの石置屋根でした。
明治38年(1904)金沢では市街地防火のため“屋上覆葺規則”を定めますが、20数年経った昭和の初めでも金沢市街の屋根の不燃化は半分も達成されなかったといいます。そういえば私が小学生ころ(昭和30年)でもデパートの屋上から見る風景は板葺き石置屋根が多かったことを覚えています。
どうも、普通の瓦では水分の多い北陸の雪にあうと、凍り付いて割れてしまうそうです。さらに降り積もった雪とともに、なだれ落ちるということで、板葺き石置屋根が多く用いられていたそうです。
現在のような瓦になったのは、近代に入ってからです。一回り大きく釉薬をかけて2度焼きしたもので、日ざしが当たると黒光りする独特の瓦は丈夫で、しかも耐寒用、ツルツルしているので雪がすべり易いことから、雪止めの突起もつけられています。
(瓦は光沢を出すために粘土を乾燥させてから表面に釉薬が塗られますが、金沢では特に黒色の釉薬が豊富に入手できたので、黒瓦の家が多くなったそうです。)
明日から師走。金沢では鉛色の空に“鰤起こし”の季節です。今年は後何回、逆光でまぶしく輝く金沢の黒瓦を見ることが出来ますやら・・・。