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昔の金沢工芸職人②明治から昭和初期

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【金沢】
明治に入ると政府の富国強兵と殖産興業策の中、これといった産業もない金沢では、伝統工芸を基幹産業とします。しかし、藩政末期の美術工芸は、古格の踏襲で、奇をてらった技術の巧みさを誇るもので、精巧で繊細、人が真似の出来ないものを造ることだけを目指したもので、現在、言われている独自性やアートとしての精神性を欠くものでした。


(古格は古来伝統の法で、先例を重要視することで秩序を維持し、下克上を防止することでもありました。工芸においても昔の意匠(デザイン)が最高で、新しい発想はタブーとされています。いつの時代でも、先例重視の作品は抹消的な技術だけにこだわり、生命力がなくなります。そして、誰かがパターンを崩そうとすると疎外され干されてします。)



当時金沢では、離散しつつあった金工や漆器、陶器の工芸職人たちに、殖産興業遂行の手段として、外国輸出のための製品が製作させています。それは工芸というより工業としての側面が強く、個々の作家が作る作品というより、多くの作品は経営者でありデザイナーである工場主を中心とした工房の合作品であったといわれています。


(金沢の街)

その様な明治初期の殖産興業遂行期においても、江戸期の技術を身につけた金沢の職人の中には後継者への指導を怠らず、彼らから指導を受けた人々の中から明治20年に金沢区工業学校(後に県立工業)が出来ると何人もの優れた職人は学校と提携し格調高い工芸品を製作するようになります。



(開校時の金沢区工業学校(県立工業))


明治後期、日露戦争後から一部の経済人の間にも美術工芸に対する関心が高まり、第一次世界大戦以後になると、その裾野も広がり、昭和2年には、官展である「帝展」に第4部(工芸)が新設されると漆器、金工、陶器、木工、染色に携わる職人の製作意欲が刺激され、職人が展覧会に入選することで、作家活動に入り職人と2足の草鞋を履くものも出てきます。



しかし、当時の職人社会は江戸時代と同様で、問屋制資本に支配され、一部の職人を除いて、まだまだ問屋の思いのままに扱われ、職人の作家意識は押さえ込まれ、問屋から命じられた意匠で、工賃を受け取る賃職人として飼い馴らされていたといいます。


(蒔絵のイメージ写真・写真提供・金沢市)


≪落として行け≫
田中喜男著の「金沢の伝統工芸」の中に、昭和前期の問屋の職人に対する横暴さが記されているので一部引用します。「戦前、一般の職人が問屋に製品を持って行く場合、裏口から案内を乞い、店の間かオエ(店の間に中の間)の土間に膝を付き問屋の主人を待つ、主人が出てくると這(は)いつくばった姿で品物を主人に捧げる。ここで値段が一方的に値引きされ、いやおうなしに承知させられます。すると主人は≪落として行け≫という。そこで最大限のお礼を言って退出する。」ということが書かれています。


(取引というより「恵み」という階級意識が見えます。品物が不浄なもので、捨てるように土間に置かれ、主人がこれを拾い上げて代価を恵む・・・。この商人の傲慢さは、昔の武士と町人、百姓の関係そのもので、当時の金沢の持つ一つの真実だった・・・のでしょう。)



(蒔絵のイメージ写真・写真提供・金沢市)


≪いじめて儲ける≫
「商人(あきんど)というのは値切ったり叩いたりして職人をいじめてそれで儲ける。職人てがァ~それでいいがャというのが、たいがい商人(あきんど)さんでス。がめついもんで、ずいぶんわれわれはいじめられたもんでス、」と歴史学者の浅香年木の父蒔絵師の浅香光甫氏が「金沢の伝統工芸」の中で語っています。


(そして、展覧会出品の作品は「材料から製作品まで、自費でまかない、たとえ入選してもほとんど売れません、特に蒔絵は材料、手間とも高価で、次々と作品を出品することは並大抵でなく、経済的に苦しくなり手持ちの作品を売りに行くと、大ていは材料費にもとどかぬ値でたたかれる始末、全部とはいいませんが大方はそんなもんでした。」と、さらに「出品作品をせず、問屋の仕事に専念した方でも、中にはこれも僅かの例外があるとしてもやっぱり良い生活は聞きませんでした。」と昭和の工芸職人の実生活を伝えています。)



(「伝統工芸職人の世界」)


以上は、金沢の伝統工芸と工芸職人のほんの上っ面ですが、それでも、歴史を遡れば、昔々、藩政期は、藩や藩士は無理してでも金を使って職人や商人を支え、明治、大正、昭和の金沢の人々は工芸や工芸職人には尊敬の眼差しを送り続けてきました。そして、今、金沢市では北陸新幹線開通を当て込んで、工芸頼みで、何度目かの工芸ブームを仕掛けています。



(「金沢の伝統文化」)


参考文献:「金沢の伝統文化」田中喜男著 昭和47年2月 日本放送協会発行・「伝統工芸職人の世界」田中喜男著 平成4年2月 雄山閣株式会社発行


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