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兼六園の鶺鴒島(せきれいじま)

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【兼六園】
鶺鴒島(せきれいじま)は、兼六園の小立野口から入ると突き当たり花見橋の右側、曲水に囲まれた15坪くらいの島です。由来については今のところ記録も伝承も見つかっていませんが、東南に向かって高さ約3mの明神鳥居がありますが社殿はありません。「三社」と彫られていたという石額が掲げられていますが、今は風化して判読できないのが一寸残念です。

(鶺鴒島)


(鶺鴒(せきれい)は日本書紀によると、イザナギ、イザナミに尊に男女和合の道を教えた鳥といわれ、その故事より、その名が付けられたといわれています。また、藩政期、大名家は世継ぎが絶えるとお家断絶ということもあり、子孫繁栄が最大の関心事だったことによるといわれています。)



(三社の石額)


鳥居の「三社」の神号は、伊勢、八幡、春日または加茂、いわゆる三社を指すのか、あるいは白山の御前峯、大汝峯、別山の神に当たるともいわれていますが、現在のところ謎です。



(左、陰陽石の後ろが相生の松)

この島は人間の一生が表現されているといわれ人生の三儀式である「誕生」「結婚」「死」をそれぞれ「陰陽石」「相生の松」「五重の石塔」で表し、配置されていて、別名「夫婦島」ともいうそうですが、他では余り見かけない珍しい構成だそうです。


(島の左側には、男性のシンボルを象った陽石と女性を表す陰石の一対の「陰陽石」が、石の後ろには雄松、雌松の「相生の松」、島の右端には「五重の石塔」があります。)


(陰陽石と間の尖ったいしは歌碑)

(五重の石塔)

陰陽石というのは、女性器(陰石)と男性器(陽石)を象った自然石のことで、庭園に陰陽石を配置するのは造園の決まりだったそうで、庭園には配置されているらしく、例えば有名な小石川後楽園(東京)、岡山の後楽園(岡山)、栗林公園(香川)にも、陰陽石があると聞きます。



陰陽石の間に尖った石に歌が刻まれています。また、左側の陽石が、途中で折れたのか?短いので歌が刻まれた尖った石が陽石と間違えられるそうですが、それもガイドが付いて説明を聞いたお客様だけで、ほとんどの観光客は、何も気づかずに通りすぎていきます。


(子供の頃、観光客の後ろに付いて説明を聞き、自分だけが知った秘密と思い込み、学校でひそひそ話をしたことが思い出されます。)


尖った石には、歌が刻まれていて、これもほとんど判読できませんが、資料によると以下の歌だということが分ります。


陰陽の神のちかひや世々までも 姿をかへず立てる此石


君徳をあらはす枝の千代こめて 契る連理や相性の松


裏面には「連理枝相生松、天然形陰陽石、文久二年壬戌夏日、建於鶺鴒山、遂庵市河三乳書」とあり、幕末の三筆の一人市河米庵の書であり、陰陽石も鶺鴒島も文久2年(1862)頃に造られたものと推測できます。


(長山直治氏の「兼六園を読み解く」には、鶺鴒島の詳しい記事はありませんが、本に掲載されている文久3年(1862)の「兼六園図(玉川図書館大友文庫蔵)」には橋が架かっていて鶺鴒島が名称は書かれていませんが島が描かれています。この図には、竹沢御殿の建物はすべて壊されていて、霞ヶ池は現在とほぼ同じ、水樋上門や塀はなく、蓮池門は長屋門になっています。)




(15坪の鶺鴒島)

ここの樹木や庭園工作物、自然石などは非対称の組み合わせですが、全体として均整のとれた日本庭園になっていて配置は絶妙らしく、他の庭園には余り見られないものだと絶賛したしている記事を何方かのブログで拝見しました。何時も見ている私にはそんな見方が出来かくて、教えて戴きました。ありがとうございました。



(宮島五葉松)


鶺鴒島の前のすぐ傍らに接木ですが樹齢200年といわれている「宮島五葉松」があります。県内でも一番大きな「五葉松」で、枝はいくつも分かれていて幹から枝とも激しくねじれています。俗説では、余りにも仲睦ましいので焼餅を焼いてねじれたのだと伝えられています。



参考文献:「兼六園を読み解く」長山直治著、桂書房2006年12月発行・「百万石太平記」八田健一著、石川県図書館協会昭和39年7月発行、他


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