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緑と水のいやしの金沢(安らぎ)

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【金沢市】
山出氏は「緑と水の癒しが“金沢らしさ”の一つでしょう。しかも、この緑と水がまちなかにあって、だからこそ金沢は、四季の移ろいが鮮やかで、住む人、訪ねる人の心が癒されるのです。」と語られています。



(浅野川大橋より)


“緑と水”は何処の都市にもあり、金沢だけの特色とはないと思われがちですが、金沢の地形は、街の真ん中に緑があり、二つの川が流れ、緑や水が直ぐそばに感じるのが”よそとは違う“といわれる所以です。



(金沢城址)


金沢で学生時代を過ごした昭和の作家中野重治は、代表作「歌のわかれ」で金沢を偲び“一種不思議な町だった”といい、「・・・街全体は二つの川と三つの丘にまたがってぼんやりと眠っている態であった。」と回顧し皮肉を込めつつ、金沢らしさをお書きになっています。




(浅野川と犀川の二つの流れ)


近世の城下町だった日本の多くの都市は扇状地の平野部に立地していますが、金沢城下は、中世の防御的な性格をもった寺内町が始まりで、戦闘的な山城の形を幾分残し、やや丘陵地寄りに立地しています。遠く飛騨の連山の“尾っぽ”にあたる丘陵地で、山間から流れだす犀川と浅野川の二つの川によってつくられた小立野台地が町の真ん中に迫り出し、その先端に兼六園を含む金沢城があります。また、両側には卯辰山と寺町台があり、町全体が三つの丘と二つの川とその扇状地にまたがっています。



(卯辰山より小立野台と飛騨につながる山々、真下は浅野川)


金沢の緑を象徴する金沢城公園、兼六園、本多の森を専門家の間では「緑の心臓」というそうです。それは景観上、金沢の中心部を占めている緑地だというだけでなく、市街の各地への動植物の供給地として機能しているということだそうです。


(寺町台より小立野台)

金沢城公園の緑は、藩政期、城郭という性格上、制約を受けたものと思われます。明治以後の軍隊時代も同様で、現在の姿は、第二次大戦後、金沢大学の敷地となってから、基本的には人間が意識的に育てたものです。専門家が管理、運営にあたり自然の持つ力を働かせながら、この地に自生する植物を量的にも質的にも豊かにすることを目指し、時期に応じて適切に手を加えたもので、この地の植生に任せたものだそうです。






(今の金沢城公園)


兼六園は、今更いうまでも有りませんが、日本を代表する大名庭園で、人工の極致という評価もありますが、この土地のもつ植物的自然が上手く生かされ、自然の力を確実に働かせた庭園だといえます。金沢城公園、そして兼六園の植生は、共に原生のものではありませんが、地域の自然の規則に従った植生配列を無理なく再現、維持されているのだそうです。




(兼六園)


本多の森は、市内の中心にありながら、金沢城公園や兼六園とは異なり、本来の原生に近い植生が保全されているらしく、犀川右岸の河岸段丘の崖地にあり、古くから金沢では、崖に建物や工作物の建設がタブーとされていたため、原生に近いものが今も現存し、“縄文時代の森“を感じさせます。





(本多の森)


また、金沢には犀川と浅野川の河岸段丘の崖がよく発達し、崖面上に植生が維持されています。それらが金沢城公園、兼六園、本多の森の緑地とつながり、生物の移動を可能にする道となります。主な河岸段丘崖が4本ありそれらの道が何れも山地につながり回廊になっていることから、専門家には「緑の回廊」と呼ばれ、「緑の心臓」につながり緑のネットワークが形成されています。それが金沢の緑の特徴といえます。


(昨年、町の中心にある金沢城公園に熊の出没したこともありました。)



(兼六園の噴水辺り)


≪緑の都市宣言≫
緑は、すべての生命の根源であり、自然の健やかな脈搏そのものである。
人類の生存と繁栄のために、失なわれゆく緑を回復し、
保全し、発展させ、かけがえのない自然を守り続けたいと願う。
この願いをこめて
私たちすべての市民は、うるわしい自然を今に伝える
誇り高き"森の都金沢"を永遠の緑のまちにすることを宣言する。


(昭和49年6月12日議決)




(鞍月用水)

金沢の水といえば、冒頭に書きました犀川と浅野川の二つの流れがありますが、特徴として町中に巡らされている用水は見逃すことはできません。400年前には犀川と浅野川の流れしか無なかった金沢の街中に、150Km、55もの用水を流れています。それら全てが藩政期に開削されています。



(市内を流れる用水)

城下町の建設資材の運搬や城内外の惣構のために造られたものといわれていますが、今も灌漑用水だけでなく都市の景観や市民の癒しの空間、冬ともなれば雪の始末などにも活かされています。


“二つの流れ遠長く霊沢澄んで涌くところ”
“眺め尽きせぬ兼六の園には人の影絶えず”


90年前、金沢市歌には「金沢らしさ」が歌われています。
そして、そのまま、未来へ・・・。


≪犀川から浅野川へ辰巳用水①≫
http://ameblo.jp/kanazawa-saihakken/entry-11727805597.html
≪油瀬木から子守川股地蔵尊まで鞍月用水①≫
http://ameblo.jp/kanazawa-saihakken/entry-11812568033.html
他に当ブログ「市民が見つける金沢再発見」には、金沢の用水の記事多数あります。



(犀川左岸の崖沿い)


参考文献:「金沢中心部の都市緑地」古池博氏の観察テキスト・「金沢の家並」島村昇著、鹿島出版会、1989年7月発行・「金沢の気骨」を読む会報告書2014年12月発行など


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