【金沢・兼六園】
兼六園の橋は、園内及び園外金沢神社辺りに有名無名を含めると30橋近くあります。今更ですが兼六園は、高台にありながら辰巳用水を巧みに引き込み、曲水(きょくすい)や鑓水(やりみず)の楚々とした流れが池や滝に注がれ、ところどころには意匠を凝らした橋が架かり、周辺の風景ともよく馴染み四季を通して訪れる人々を楽しませてくれます。
(霞ヶ池と徽軫燈籠)
兼六園の橋といえば、公式のパンフレットの表紙を飾る徽軫燈籠(ことじとうろう)前に架かる紅橋(琴橋)が有名ですが、伝統的な日本の美として捉えられる「雪月花」を冠した三つの橋があり、昔から「兼六園の三橋」といわれ、春は花見橋、秋には月見橋、冬は雪見橋と四季の移ろいを象徴する風情を演出してくれます。
≪雪見橋≫
この橋は、文政5年(1822)に完成した竹沢御殿の御居間の庭先から七福神山ヘ架けられた橋で、卯辰山の峰々の遠景は七福神山の借景です。特に橋を介して眺める卯辰山の雪景色は格別だったらしく、別名に望雪橋とか観雪橋と言われていること、橋の脇に雪見灯篭が設えてあることからも名称の由来を窺い知ることができます。
(雪見橋)
(橋は青戸室石を2枚揃えたもので、石の長さ4,75m、幅2,24m、厚さ0,29mで、明治以前の石切橋で全国8位とか、永い間、見てきましたが気付かなかったことに、踏み石は白い御影石、橋は青の戸室石で、その対比がこの橋の見所だといいます。現在は立ち入り禁止で渡ることが出来ません。)
≪月見橋≫
十三代藩主斉泰公が、眺望台と霞ヶ池の間の曲水に架けた橋で、別名玩月橋。文久3年(1863)に描かれたという絵図に載っています。しかし、その絵図では橋の様子はよく分りませんが、現在、踏み板に丸太を並べ土を敷いた土橋風の橋ですので、多分、それに近いものが架かっていたものと推測できます。
(この橋は、卯辰山から登る月を見るのに適した場所から名付けたれたといわれています。横には赤松の“玩月松”と満月を表す三州型の大阪御影石で作られた園内唯一の丸みを帯びた月見燈篭が置かれています。)
≪花見橋≫
小立野口から入ると直ぐに擬宝珠が付けられやや斜めに架けられた木造の反り橋があります。橋の上からは、曲水が広く見渡せ、上流と下流の景色が全く異なり見ていて飽きさせませんが、春の桜はここが一番といわれていますが、桜が終わる頃には、下流の風情が一変します。曲水に群舞する杜若(かきつばた)の紫が新緑に映え、冬ともなれば、広々とした千歳台の先に唐崎の松の見事な枝ぶりに“雪吊”が施された趣深い風情が微かに目に入ります。
(橋は京の五条の大橋に似ているところから、橋の脇に弁慶の下駄の跡だという窪みのある石が置かれていて、子供の頃、真に受けて得意になって言い触らしてたのを思いだします。月見橋はそんな弁慶の時代ではなく、文久3年(1863)以降に架けられたものだそうです。)
参考資料:「兼六園を読み解く」「兼六園全史」「名勝兼六園」「兼六園物語」「兼六園の今昔」「兼六園の橋とその近傍」「金沢古蹟志」等、兼六園に関する多数の資料より.。